尹雄大『FLOW――韓氏意拳の哲学』

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FLOW―韓氏意拳の哲学
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 『FLOW――韓氏意拳の哲学』は韓氏意拳という「武学」を標榜する武道について書かれたものだ。韓氏意拳は、型を持たない。型をもつ武道においては、型を反復することによって、修練が深まっていく。韓氏意拳がそれを持たないということは、理論的に構築された、反復可能な技術習得の体系を持たない、ということを意味するだろう。だが、単に体系を拒むわけではなく、韓氏意拳は「終りがなく絶えず書き加えられ、更新される体系」を持とうとした。型を捨てることによって、型から削ぎ落とされてしまうものを救おうとした(それによって人間の身体の最大限の力をありのままに活用しようとする)。




 このような記述を読んで、私はアドルノの否定弁証法を思い出す。アドルノが目指した否定弁証法とはまさに「終りがなく絶えず書き加えられ、更新される体系」ではなかっただろうか、と。『否定弁証法講義』*1のなかで語った「非概念的なものを取り込むというよりもむしろ、非概念的なものを非概念的なあり方で把握すること」という言葉はあまりにも韓氏意拳の目指すところと似ている。著者がタイトルにつけた「FLOW」という言葉もまた、アドルノが繰り返す「浮動的なもの」という言葉とつながっている。アドルノが「浮動的なもの」という言葉で指し示したものは、ほとんど「型から削ぎ落とされてしまうもの」と同じものを示しているように思われる。



否定弁証法講義
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 韓氏意拳は記述できないもの、体系化できないものを、そのまま記述できないもの、体系化できないものとしておき、非体系的な体系を、師範と弟子とのあいだに生まれるミメーシスによってのみ伝えているように思われる。だが、傍からみればこのコミュニケーションは記述することも、記述されることも拒むようなものに見えてもおかしくない。





 この本の恐ろしさは、このような韓氏意拳について、神秘主義に陥ることなく記述を行えてしまっていることだ。そこでは意拳の体系と自我論・存在論・時間論といった哲学的な思考の断片が接続される。読んでいると副題の「韓氏意拳の哲学」が「韓氏意拳を媒体として哲学を記述する」といった方が適切なのではないか、とさえ思われてくるほどだ。意拳と哲学的な思考が接続され続けていくことで、断定を避けつつ、記述していくことが可能となる。実は、このような記述のスタイルは、アドルノの批評と同じ方法論でもある(布置連関)。これが見事に成功しているように思われたのが、私には驚きだった。





 武道などの身体性を通して、理性によっては捉えるきることができない知を捉えることについて、近年ずっと高い関心が保たれているように思う。『FLOW』はそういった試みから生まれてきた珠玉の一冊だ。哲学書としても、魅力的な武道を紹介する本としても価値がある。






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