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ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』




銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
ジャレド ダイアモンド
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銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
ジャレド ダイアモンド
草思社
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 朝日新聞「ゼロ年代の50冊」に選ばれたことで話題になっている本。「この10年間で最高の知的興奮体験!」という帯の文句が勇ましいですね。そう言われると「ホントにぃ? ねえ、ホントにぃ?」と半笑いで2回たずねたくなりますが、面白かったです。著者、ジャレド・ダイアモンド(なんか小学生が考えそうな名前。ダイアモンドって!)の専門は生物学なのですが、スティーヴン・ジェイ・グールドの本が好きなら読んで面白いと思わないわけがないかと思います。そのうち河出文庫に収録されるんじゃないですかね。いや、されて欲しいな。




 この本のなかで問われることの根本にあるもの。それは「なぜ、ヨーロッパの人々がアフリカやアメリカ大陸の人々を侵略することができたのか。なぜ、逆はおこらなかったのか」ということです。そういわれると確かに不思議だ。どうしてインディアンやインカ帝国の人がヨーロッパに攻めこまなかったのか。この謎を説明するために、かつては「そら、あんた、インディアンや黒人たちが白人よりもアホやったからや」という説明がされ、それを実証するために骨相学などがマジメに研究されていたことは、前述のグールドの本*1でも説明されています。そういった人たちは、俺たち(ヨーロッパ人)が家畜を育て、街を作り、さまざまな文明の利器を作り出せたのはなにを隠そう、俺たちが賢かったからであ~る、とか言ってたわけ。





 著者が文句をつけはじめるのはそこです。ホントか? 俺たちはホントに黒人より頭が良いのか? むしろ、現代社会だと原始社会の人のほうが賢いこどもがいそうだぞ?(この辺、変な人権意識みたいなのが感じられてちょっとイヤなんだけど) そこで著者は仮説を立てます。ヨーロッパの世界における反映は、単に環境的に恵まれていたからなんじゃねーの? と。この仮説を検証するために、ものすごくシンプルな経済学的なモデルや進化生物学の知識をつかってアレコレする。気象学の話も出てきて「土地は南北に広がるより、東西に広がっているほうが環境的に有利!」なんて話も出てきます。シンプルすぎるきらいはありますが、こういった話の進め方は



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 i、     \:::::::::::::::..、  ~" /             ヽ.___,./  //ヽ、 ー



 と言いたくなってきます。仮説だけ知れれば良い! という「まとめサイト」とwikipediaばっかり読んでそうな人には、上下巻のこの長さがキツいかもしれませんが、たくさんのトリビアがいっぱい含まれていて読む価値アリです。まぁしかし、これだけ1万5千年の超マクロな歴史を追っていくと、現代の反映なんかホントに恵まれた環境によって、たまたま生まれてきたものなんだろうなぁ、と遠い目をして感慨深い気持ちに浸りたくなってきます。生きてることが奇跡!(超ポジティヴ発言) がんばれがんばれできるできる!(松岡修造)






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