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ポール・クルーグマン『経済政策を売り歩く人々 エコノミストのセンスとナンセンス』




経済政策を売り歩く人々―エコノミストのセンスとナンセンス (ちくま学芸文庫)
ポール クルーグマン
筑摩書房
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 クルーグマンの著作が続々とちくま学芸文庫に入っております。その文庫化最新作がこの『経済政策を売り歩く人々』。アメリカの経済史を顧みると、1973年を境にしてピッタリと夢のような成長はとまってしまったそうです。この本ではそれからどのような経済政策がとられたのか、そしてその政策の理論的裏付けはどのようなものであったのか、さらにそれはどのような効果があったのか、を分析しています。既読の本*1と内容がかぶる部分もありますが、とても面白い本でした。





 原書が出たのは1994年、最初の日本語版が出たのは1995年で、日本語版が出た頃のアメリカはクリントン政権下にありました。それからもう15年が経ち、今ではアメリカの大統領がオバマになっている。なんだかちょっと遠い感じがしますね。「昔の分析じゃないか。今読んで価値があるの?」と思われるかもしれません。しかし、クルーグマンは1995年の日本語版への序文でこのように言います。



……どのようなタイプのナンセンスな経済政策が政治議論の中心となっているかは、時と場合によって変わるとしても、経済学上のセンスとナンセンスの間には根本的な違いがあり、またなぜ政治家がナンセンスな政策の方を好むのかという理由には、時代と国境を越えた永遠の真理がある……


 なるほど……。私としてはこのような名文句に触れることができただけで、この本を買う価値がある、と断言してしまうのですが、それ以降ももちろん面白かったです。ケインジアン、マネタリスト、サプライ・サイダー。これらの名前で指示される人たちが一体どのようなことを言っていたのか、を確認することができますし、以前に読んだ『経済学という教養』*2の内容を再確認することもできました(思うに、この本は、クルーグマンが批判/分析するところの経済学が日本の経済政策においてどのように影響を与えてきたか、を確認することができるように思います)。



経済学という教養 (ちくま文庫)
稲葉 振一郎
筑摩書房
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 基本的にクルーグマンの著作に触れて、勉強にならなかったことはないのですが、今回はとくに後半に登場する「QWERTY経済学」という概念が面白かったです。「QWERTY」とはもちろん、世界で最も普及しているキーボードの配列のことです。この配列は(ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』*3でも触れられていますが)最も普及しているにも関わらず、実は効率が悪いシステムであるわけです。しかし、その非効率性が全体最適化されてしまうと、もう変わりようがない。効率が悪いシステムが、最も効率が良いシステムとして採用されてしまう。これは非合理性が、合理的に運用されている例としても考えられましょう。





 えら~い経済学者にも、経済のことはよくわかっていない。えらい人にもわかっていないのだから、普通の人にはもっとわからないはず……にも関わらず、経済はまるであらかじめ「ほとんど正解。最適解!」という選択肢を与えられたように動いているように見えてしまう。そういう事例の確認していくだけでも経済学はおもしろいです。「○○すれば、日本経済はきっとよくなる!」みたいな本を読むよりも、この「わからないこと」の確認はずっとおもしろいはず。






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