スキップしてメイン コンテンツに移動

イエイツの『記憶術』を読む #3




記憶術
記憶術
posted with amazlet at 10.06.11
フランセス・A. イエイツ
水声社
売り上げランキング: 260770



f:id:Geheimagent:20100613010107j:image:left マラソンの練習中に思いついたのですが、この『記憶術』の著者、フランセス・A・イエイツ(1899-1981)って、今考えてみると元祖「歴女」(歴史好き女子、の略でいいんですよね?)みたいな人ですよね。左はいつのものかわかりませんがイエイツ先生の写真です。ちょっと怖い顔。最近になって彼女の評伝の日本語訳『フランシス・イェイツとヘルメス的伝統』が出ています。こちらの表紙はさすがに若い頃の写真が使用されているようです。こっちはパッと見、ちょっと美人風。歴女ブームが来ているそうですから、我こそ歴女、あるいは歴女好き、という方は是非、イエイツ先生の著作にも手を出していただきたいところです。日本の戦国時代なんかはっきり言ってスケールが小さいですよ! 「城がカッコ良い」とか言いますけれど「記憶の劇場」のほうがもっとダイナミックで最高です!!





第三章 中世における記憶術


 いきなり脱線してしまいましたが、今回は第三章です。ここではギリシャ、ローマ時代以降に記憶術がどのようにヨーロッパで扱われていったか、が主題になっています。話の俎上にのってくるのは、5世紀から13世紀と非常に長いスパンとなっています。世の中はいろいろ変わっています。まず、4世紀にはゲルマン民族の大移動なんかがあって、西ヨーロッパ全体がわけわかんなくなっています。5世紀のマルティアヌスという著述家は、ラテン世界を代表する自由七学科の学問を寓意化して書き残しており、少なくともこのときまではラテン的な暗記術も重要なものであったようです。しかし、その後にラテン世界が崩壊してしまうと、シャルルマーニュが古代の教育制度を復活させようとするまで、学問は歴史の表舞台に立つことはありませんでした。「野蛮化した世界では、弁論家の声は沈黙させられるものだ。安全が保証されない時代には、弁論に耳を傾けるためゆったり集う余裕など人々にはないのである」(P.80)。





 さて、シャルルマーニュは教育制度を復活させるためアルクィンという人物をフランスに招聘します。この人はイングランド出身で、古典教育を受けたその時代の権威だったんですって。ここでイエイツはシャルルマーニュとアルクィンの対話を引いているのですが、シャルルマーニュが「記憶力を高める方法ってあるのかな?」とアルクィンに訊ねると「うーん、めっちゃ暗記の勉強して、書きまくって、いろんな風に応用して、深酒をさけることかな」なんて答えているのです。イエイツはびっくりします。なんたることを! 『ヘレンニウスへ』で説かれた技術はどこへいってしまったんだ! と。まぁ、いろいろあったんでしょうね。そもそも『ヘレンニウスへ』に注目が集まっていたのは、12世紀~14世紀になってからのこと。それまでは欠落があるものが伝わっていたんですって。





 しかも12世紀にこの著作に注目が集まっていたのもこれがキケロの著作だと思われていたからなのでした。この著作は『ヘレンニウスへ』と同時にキケロが書いていた『主題の創造的選択について』の続編だと思われており、アルベルトゥス・マグヌスやトマス・アクィナスといった中世思想史の超ビッグ・ネームたちもそのような認識で『ヘレンニウスへ』に触れていたそうです。しかし、だからこそ『ヘレンニウスへ』は文献として後世まで伝えられた、というべきなのかもしれません。というのも、中世においてキケロの影響はとても大きいものだったので、不完全なテキストしか伝わっていなくとも「このテキストはキケロの書いたものだ!」と思われていれば、それが読まなくてはならない(理解しなくてはならない)テキストだ、と思われていたようなのです。





 さて、このような確認作業を終えれば、ようやくこの章の本題に入ることができるかもしれません。中世において記憶術はどのような扱われ方をしていたのか? です。これまでの章で見てきた通り、ギリシア時代、ローマ時代を通じて、記憶術は立派な弁論をするための技術のひとつでした。しかし、中世になるとそれが倫理学の範疇に入ってきます。これは一体どういうことなのでしょうか? イエイツは中世において記憶術が活用される目的がそれまでとはダイナミックに変わってきていたことを指摘しています。ここは超燃えるポイント。





 イエイツはまず、12世紀後半から13世紀初めにかけて、ヨーロッパで最も重要な文系の技術であった「文体術」(公文書の書式術)で有名だったボローニャ学派のボンコンパーニョ・ダ・シーニャという人物の『最新修辞学』という著作を見ています。この本が書かれたのは1235年。このときすでに記憶術が弁論術から倫理学へと河岸を変える土台が作られていた、とイエイツは言います。



われわれは天国の目に見えぬ歓びと地獄の永劫の苦しみとを、たゆまず心に刻みつけておかねばならない(P.87)



 以上のようにボンコンパーニョは記しています。そして彼は美徳と悪徳のリストを作成し、そしてこれを「記憶の目印」と呼び、その目印を覚えなくてはならない、としたのです。しかし、それがなにの役に立つというのでしょう? イエイツはボンコンパーニョが説いた「記憶の目印」の効果を以下のように分析しています。「古典的規則通りに鮮明化された美徳と悪徳のイメージを『記憶の目印』として記憶に刻印し、われわれが〈天国〉に到達し〈地獄〉を忌避する助けとすることにあった」(P.88)と。そして、この路線にアルベルトゥスもトマスも乗っているのです。



『ニコマコス倫理学』は、美徳と悪徳およびそれらの細目を複雑化したが、アルベルトゥスとトマスによる〈思慮〉の新たな評価は、その美徳と悪徳とを時代に即したものにしようとする彼らの全般的努力の一つの表われなのである。(P.89)






(続く)





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か