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松田毅一 『伊達政宗の遣欧使節』




伊達政宗の遣欧使節
伊達政宗の遣欧使節
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松田 毅一
新人物往来社
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戦国~江戸時代にかけて活躍した武将のなかでも伊達政宗という人は人気の高い人物だと言えましょう。この徳川を脅かし続けた奥州の独眼竜は松島に派手なお寺、瑞巌寺を建立し、それはかの地の人気観光スポットとなっていますし、ドラマなどでも彼の生涯は何度もとりあげられている。そんな彼がヨーロッパに向けて使節を送っていた、しかもそれは太平洋を渡ってアメリカ大陸までたどり着いた初めての日本人であったことはどこまで知名度がある歴史的事実でありましょうか。本書はこの事実を資料と当時のスペイン・ポルトガルと日本との国際関係を鑑みながら、評価をしています。著者、松田毅一は江戸時代の国際関係を研究していた研究者(すでに故人)。この先生、古い研究者の方々の本でよく見受けられるイメージの「暗に他の研究者や一般人をdisりながら、自分の研究の正統性を主張するような文言」が随所に挟まれ、そこがちょっとウッとくるんですけれど、本の内容はとても興味深いものでした。





Wikipediaでこの遣欧使節、慶長遣欧使節についての記載を読むと「日本で初めてヨーロッパに向けて通商目的で送られた使節」という風に高い評価をされているのですが、本書の評価はまるで違います。支倉六右衛門(常長)を代表とするこの使節は、まったくスペイン語やイタリア語が話せなかったのだからまともな通商などできるハズがない。また、当時の日本の政治家のなかでマトモに国際関係について考える頭があったのは徳川家康だけであり、伊達政宗にヨーロッパと通商を結ぶアイデアなんか浮かぶハズがない。本気だったら、もうちょっとマシな人を用意するハズ(支倉六右衛門は、罪人の息子で大変身分の低い武士でした)。では、どうしてこの使節が実現したのか……というところですが、そこに宣教師のソテーロという人の存在がある。この人物、なかなか熱心な宣教師で、語学にも長け、日本語の読み書きにも通じた才人だったのですが、功名心が高く言葉がわからない人たちのあいだに通訳として立つと自分の都合の良いようにやりとりを成立させていた、という山師感たっぷりの男だったようです。この人の立ち回りによって、伊達政宗も自分のサインとハンコだけ押した白紙を渡し「内容は、好きに書いて良いよ」という感じの投げやりな遣欧使節が誕生し、時の法王パウロ5世への接見まで実現したのですからスゴい。ソテーロは後にキリスト教弾圧が最強に強まっている日本に密入国し、あっさり逮捕され、火刑にかけられてしまうのですが……。





というわけで、本書の主人公は支倉六右衛門でも、伊達政宗でもなく、このソテーロという宣教師がどこでどんな嘘をついたのか、またその嘘まみれの報告がメキシコやスペインやローマにおいてどのように受け取られたかをめぐる主題にひっぱられて進みます。いわば「嘘付き宣教師のドタバタ珍道中」とでも言うように。そうしたなかで、当時の国際社会でどのように日本が、そして日本人が見られたのかが語られるのですが、そこが滅法面白い。使節団が立ち寄ったある村では、鼻をかんだあとに道に投げ捨てたチリ紙を拾う人がいたりする。また、当時の日本に伝道にきていた宣教師には幾種類かのセクト(?)があり、そのなかで派閥闘争があったり、「日本人にはヨーロッパの言葉は教えないようにしよう。そうすれば、ずっと俺たちが上に立てるから」という教化戦略も面白かったです。使節団が大したことをしていないので、実は本書の3分の1ぐらいで日本との海外との関係史が前置きみたいにおかれてるんですけど、16世紀末から17世紀初頭当時すでに日本人は結構東南アジアに進出している、という事実も刺激的でした。フィリピンあたりでブイブイいわせてた海賊の頭領のひとりが日本人だったりしたんだってさ。





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