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『Newton』9月号「大宇宙137億年」がすごすぎて話題に(俺のなかで)




Newton (ニュートン) 2011年 09月号 [雑誌]

ニュートンプレス (2011-07-26)


前号に引き続き*1、『Newton』は宇宙特集。前号は宇宙の空間的な広がりについてでしたが、今号は時間的な広がりについてでした。この手の領域の話は、あまりにスケールが大きすぎて読んでると頭がクラクラしてくる内容……というのは相変わらず。この宇宙があるとき一瞬にして膨張してできたという宇宙誕生の学説はもはや常識と言っても良いでしょう(インフレーション理論)けれど、宇宙の未来予想図(100兆年後とかの)については知らなかったことも多く大変興味深い内容でした。とくにすべての恒星が燃え尽き、恒星が生まれる材料も枯渇した暗黒の宇宙や、ブラックホールが蒸発し素粒子が飛び交っている姿など、なんかディストピアを通り越した虚無な世界があって想像力をくすぐられます。付録の『大宇宙キーワードBOOK』も含めて保存版! という感じ。





3月の震災以降、原発・放射線・地震についてのトピックが継続して扱われているのですが今回は、PTSDという症状と治療についての「『心の傷』をいやすには」や「被曝でDNAはどう傷つくか」と言った記事が秀逸です。どちらも知識として知っておくべき事柄のように感じられました。またエネルギー関連の「風力発電、その実力は?」という記事が面白い。風力発電といえば風車みたいなアレをイメージを抱きがちですが、実はもっと多様な種類があることがわかりました。オランダの風車と、風力発電では利用しているエネルギーが違っていたりするのもへえ~、という感じ。九州大学では洋上発電ファームという構想をたてて研究が進められているそうで、このイメージ図もものすごく未来感があって素晴らしい。お金のあるエコロ人の人は、こういう研究にお金を突っ込んだら良いのでは。小ネタでは高機能トイレの技術解説が最高。とくにウォッシュレットの技術は、日本の技術者のマニアックな作り込みが感じられて良かったです。






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