- 『17世紀西欧地球論の発生と展開―ニコラウス・ステノの業績を中心として―』(2003年度博士学位論文、東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻、相関基礎科学系(科学史)、2004年3月)
- 17世紀地球論の諸前提とニコラウス・ステノ
- 地学史のヒストリオグラフィとニコラウス・ステノ研究
- ニコラウス・ステノの生涯
- ニコラウス・ステノの地学的業績
- 17世紀西欧地球論の諸前提
- 17世紀西欧地球論の発生と展開
- デカルトの地球論―機械論的地球論の登場
- ウァレニウスによる地理学の構想
- 「ゲオコスモス」―キルヒャーの地下世界論
- フックの地球論とステノ
- エラスムス・バルトリンとステノ
- スピノザとステノ―聖書解釈と地球論
- ステノからライプニッツへ―地質学相伝の一経路
- 結論
ニコラウス・ステノの『プロドロムス』を翻訳した山田俊弘さんの博士論文を読みました。ステノは今日において一般的にはほとんど馴染みのない名前ですが、彼を媒介にすることによって地学史から哲学史をひっくり返そうという野心的な論文であると思います(先日、加藤さんのスピノザ発表動画を参照したのも、この論文を読んでいたからでした)。7章については、以前にもブログで紹介させていただきましたが、改めて勉強になりました。
メインとなるのは第2部の「17世紀西欧地球論の発生と展開」。ここではまず、デカルトの地球論・鉱物論が細かく分析され、これに対して当時のデカルトの論敵であったガッサンディの鉱物論・化石論が対比される。従来の学説によれば、ステノの地球論はデカルトの地球論(地球の地下には空洞の層があり、その地層の崩落によって山や洞窟などの地形ができる! など)をそのまま受け継いだと見なされていましたが、実は鉱物論・化石論を見ていくとガッサンディやキルヒャーの影響もある。ここで、地形の形成、という大きな地球論と、鉱物論・化石論という小さな地球論がわけたとき、それぞれの領域で違った人物(あろうことか思想的に対立していた)たちの影響がステノのなかで統合されて読めるのがとても面白いです。
さらにデカルトの地球論を批判的に受け継ぐウァレニウスの『一般地理学』は、ステノに熱心に読まれ、かつ、新科学にも影響を与えた書物として位置づけられる。近代地質学のパイオニアとしてステノと同時に評価されるイギリスのロバート・フックもウァレニウスを参照していました。8章はステノとフックの対比になりますが、同じような文献に触れることができ、珍奇物のコレクションに関わるなど似たような環境にいた同時代人が、まったく違った地球論を提出した事実がかなり熱い。コレクション絡みではステノの師匠筋のひとりであったエラスムス・バルトリンの章も、コレクションをどのように使うか、というテーマで面白く読みました(ここでの話は、ダストン & パークの仕事も想起させる。王立教会にいて研究のためにコレクションを使おうとしたフックと違い、バルトリンやステノが関与したコレクションは権力者に驚異を見せるためのものとしての性格が強かった。が、バルトリンもステノもレジャー的なコレクションから新しい研究の態度を生み出してもいたのだ)。
最後のスピノザ、ライプニッツを扱った部分は、大きく捉えれば「17世紀において歴史はどのように読まれ、どのように書かれたのか」が読み解かれることになる。すでにこの時代、人間の歴史が即ち聖書、ではありません。これまでは聖書が歴史だった、けれども、そうじゃない、じゃあ、そもそも聖書ってなに? といったことさえ問われるようになっている。これに対して、ステノは聖書の記述と自らの提出した地形生成論を照らし合わせることで、聖書は歴史の本としても使用できる、と主張する。一方、スピノザは聖書を単なるテキストとして読解していくことにより、また別な歴史を作ろうとする。彼らの聖書の読み方はまるで違う、しかし、著者は言います。「現在われわれの眼前で成り立っている法則や原理が過去においても成り立っていたという前提のもとに推論を働かせる現在主義(P.233)」において両者は共通していて、そこに歴史科学の転換点が見いだせるのでは、と。
やはりデカルト以降の思想家には「新しい人たちだなあ……」と感じる部分が多いのですが、思想史・科学史から入っていくと、前後を参照しながらなんとなく分かった気になるのも良い。ステノの生涯については『ミクロコスモス』第1集にも山田さんの論文がありますので、図書館にいったら読めるはず。
コメント
コメントを投稿