スキップしてメイン コンテンツに移動

デビッド・アレン 『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』

はじめてのGTD ストレスフリーの整理術
デビッド・アレン
二見書房
売り上げランキング: 1,194

会社員として働きはじめてもう7年目に入ろうとしているところであり、そこそこ自分の仕事のスタイルだとか日々やらなくちゃいけない作業の管理などは自然と身についてしまっている。いまのやりかたに特別なストレスや問題を感じているわけではないのだが、ある日「Getting Thing Done(GTD)」というメソッドの存在を知る。それで、もしかしたら今のやり方よりも優れた方法があるのかも? と自分のスタイルを見直すために本書を手に取った。ちなみに著者のデビッド・アレンはGongの人とは別人である。

これはいわゆるライフハック本のひとつだ。普段そうしたジャンルの本を読んだりしないから、他の本と比べてどうかはわからない。でも、読んで思ったのは、これは大変な名著なのでは、ということ。ライフハック本というジャンルを超えて、読み物としても面白く読んだ。単純に優れたメソッドを紹介するだけではなく、人間の行動・意思決定プロセスをシステマティックに説明しているところが特に興味深かった。ちょうど並行して、二クラス・ルーマンの初期の著作『目的概念とシステム合理性』を読んでいたんだけれど、意思決定プロセスの説明におけるルーマンとアレンに重なる点をいくつか認められると思った。

なぜ、仕事がうまく進まないのか。あるいはどのように意思決定は「おこなわれない」のか。この理由を、両者はともに情報が複雑化しすぎているのだ、とする。やりたいこと、やるべきこと、やれること。職場においてもプライベートにおいても、行動の選択肢は無限のように存在する。やれることのなかには、やらなくてよいことも含まれるだろう。また、どのことから手をつけるのが正解なのか判断するのも悩ましい。時間がたつと、そのものの重要度が変化していったりするわけで、その都度、合理的に判断をおこなおうとしたら大変なストレスになるだろう。仮に仕事AとBとCがあったとして、それらを処理する順番によっても、その後の重要度が変わってくるかもしれない。それでは、いったい、いま、わたしはなにをやればよいのか。

こんなことを言い出すと意思決定など不可能に思われるのだが、そうではない。現に意思決定はおこなわれていて、ビュリダンのロバみたいに決定ができず死んでしまう人は見受けられない。どうやら、決定不可能にみえるものが、どのようにしてか決定可能となるプロセスがあるらしい。ルーマンは、この点をシステム論の言葉を借りながら説明している。たとえば、仕事に対してその目的が与えられる。目的が与えられれば、それに関係のない選択肢は、意味がないものとして中和化される。またシステムの外側にある複雑な環境を分化することも可能だ。世の中にはさまざまな市場があるけれど、それぞれがすべての仕事に関係するわけではない。「この市場の情報は俺には関係ないものだ」として、分化された環境が処理されることで、複雑性が縮減する。ルーマンはこうしたことを目的概念の機能だと言う。

こうした説明はとても当たり前のように見える。ただし、当たり前が可視化されることで、はじめて意識できることもあるだろう。自分の仕事がうまくいかないのはどこにコストが割かれているせいか、とか。アレンによるメソッドも、こうした可視化された当たり前のうえで機能する。目的にひもづいた作業をとにかく洗い出す。そして、それを参照しやすい、複雑でないモノに記録して管理する。作業が終わったら作業リストから削除していく。GTDの基本はこれだけ。重要なのは、行動決定のための情報をあらかじめ整理し、外側にまるごと委託管理することで「次になにをやればよいのか」を悩むコストを減らし、マシンのような逐次処理で済む環境を作ることだ。

本書のやり方を完璧にマネしなくても、自分のやり方で、望ましい環境へと辿りつけるなら問題ない。そうではなく「自分はどうしていっぱいいっぱいで仕事しているのだろう……」と悩んでいる人には一読をおすすめしたい。わたしの職場でもこれをプレゼントして反応を見てみたいメンバーが何人かいる。

目的概念とシステム合理性―社会システムにおける目的の機能について
馬場 靖雄 上村 隆広 ニクラス・ルーマン Niklas Luhmann
勁草書房
売り上げランキング: 736,651

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

土井善晴 『おいしいもののまわり』

おいしいもののまわり posted with amazlet at 16.02.28 土井 善晴 グラフィック社 売り上げランキング: 8,222 Amazon.co.jpで詳細を見る NHKの料理番組でお馴染みの料理研究家、土井善晴による随筆を読む。調理方法や食材だけでなく食器や料理道具など、日本人の食全般について綴ったものなのだが、素晴らしい本だった。食を通じて、生活や社会への反省を促すような内容である。テレビでのあの物腰おだやかで、優しい土井先生の雰囲気とは違った、厳しいことも書かれている。土井先生が料理において感覚や感性を重要視していることが特に印象的だ。 例えば調理法にしても今や様々なレシピがインターネットや本を通じて簡単に手に入り、文字化・情報化・数値化・標準化されている。それらの情報に従えば、そこそこの料理ができあがる。それはとても便利な世の中ではあるけれど、その情報に従うだけでいれば(自分で見たり、聞いたり、感じたりしなくなってしまうから)感覚が鈍ってしまうことに注意しなさい、と土井先生は書いている。これは 尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』 の内容と重なる部分があると思った。 本書における、日本の伝統が忘れらさられようとしているという危惧と、日本の伝統は素晴らしいという賛辞について、わたしは一概には賛成できない部分があるけれど(ここで取り上げられている「日本人の伝統」は、日本人が単一の民族によって成り立っている、という幻想に寄りかかっている)多くの人に読んでほしい一冊だ。 とにかく至言が満載なのだ。個人的なハイライトは「おひつご飯のおいしさ考」という章。ここでは、なぜ電子ジャーには保温機能がついているのか、を問うなかで日本人が持っている「炊き立て神話」を批判的に捉え 「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」 という提案がされている。これを読んでわたしは電撃に打たれたかのような気分になった。たしかに冷めていても美味しいご飯はある。電子ジャーのなかで保温されているご飯の自明性に疑問を投げかけることは、食をめぐる哲学的な問いのように思える。

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」