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加藤喜之 『スキャンダラスな神の概念 スピノザ哲学と17世紀ネーデルラントの神学者たち』

スピノザの聖書解釈に関するテキストを読んでいて、強い勉強不足を感じたため、昨年立教大学で開催されたシンポジウムでの加藤喜之さんの発表動画を観て勉強しました。動画では発表の冒頭部分が少し切れているのですが、加藤さんの発表はデカルト主義を継承し、それをラディカルに発展させたスピノザがどのような攻撃を受けたのかを分析する内容となっています。「神と自然とを同一視し、自然の運動法則を学べば、それが神を知ることができる!」というスピノザの神の概念は、教会の人たちが「神を絶対的に超越した存在であり、人間には認知できないものである」と考えたのと正反対の考えです。それゆえ(発表タイトルにもあるとおり)スキャンダラスなものとして捉えられたスピノザは、保守的なデカルト主義者や、さらに保守的な伝統的アリストテレス主義を信奉する教会関係者によって批判されることになる。ここでは前者の代表としてクリストフ・ウィティキウス、後者の代表としてゲルハルト・デ・フリースが取り上げられます。

現代の視点だけで彼のテキストを読んでも「スピノザのなにがそんなにスキャンダラスで衝撃的だったのか」はおよそ理解できないでしょう。過去の視点が導入されることではじめて、スピノザのインパクトがわかるようになってくる。また、批判者の側から描かれたスピノザの姿も、スピノザの思考を理解する手助けになるように思いました。さらにこの発表は結論部がスゴい。哲学史を豪腕でひっくり返して、デカルトやスピノザが与えたインパクトがどのように現代に繋がっているのかまで考えさせてくれる力強いものです。教科書通りな感じで「近代哲学ではデカルトが重要である」みたいなことは聞いたことがあるけれど、それがどう重要なのかをガッツリと感じさせられます。

あと、ここ最近の傾向としてアリストテレス主義が基本だった時代に関わるテキストを多く読んでるせいか、スピノザとかデカルトとかが「新しいな!」、「ラディカルだな!」と思いながら聞くことができました。必見。

追記
この発表内容は論文の形となって今年出版される予定の論文集に収録されるそうです。文章でもパワフルな研究が読める日がくるのを心待ちにしましょう。

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