Routledge
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ID論者、マイケル・ベーエ(Michael J. Behe)やら、ウィリアム・デムスキー(William Dembski)たちが一生懸命「還元できない不可能性が!」とか「人間が存在できる宇宙ができたのはデザイナーがいなかったら考えられない! 宇宙は調整されてできあがっている!」とか言うわけです。でも、それはキリスト教的な神を知的なデザイナーと言い換えただけじゃん、とドーキンスじゃなくても突っ込みたくなるところだ。論文のなかで語られる、ウィリアム・ペイリーの「砂漠のなかに時計が落ちてたら……」みたいな説話とか、トーマス・ベイズが論理学によって神の存在証明をしようとしたとか(わたし、ベイズって最近の人かと思っていたので、そこで単純に驚いた)はイチイチ面白い。けれども、本書のなかでは一番面白いのはID論の批判者たちの主張だ(この論文集自体が、ID論万歳!な感じではない)。
例えば、多元宇宙論を想定すれば、自分が生きている世界を「なんらかの意志によって調整されたものだ」と思うのも単なる観測選択効果でしかなくなっちゃうよ、とか真っ当な指摘だと思う。宇宙にしても誕生からプランク時間(時間の最小単位)より前のことをまったく予測できないし、宇宙において観測できない領域が存在する。そうしたアクセスできないものに対して、超越的な存在を認識するかどうか、信じるかどうか、ってホントに当人のメンタリティーの問題に感じる。
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