それにしてもだ。夢に出てくるあらゆるものを性的な象徴だと言い、また、精神的な不調の原因もすべて性的なものへと還元していくフロイトの言葉に、改めて「こんなもん良く受け入れられたよな……」と呆れながら読んでしまうのだった。例えば不眠症に悩む女性の症例を紹介する際には、その女性の枕元にあった時計のカチコチいうリズムが、勃起したクリトリスが脈打つ音とつながっている、とか言うんだよ。すごくない? こんなの思いつきますか? 驚きますよね。
悪い本ではない。フロイトの思想って、それこそ高校の倫理の教科書にも載ってたくらいですが(授業に出てきたかは不明。倫理の授業中、自分がなにをしていたかをまったく覚えていない)、自我だとか超自我だとかエスだとか、そうしたテクニカル・タームはフロイトの著作に触れてなくても知ってたりするわけ。本書を通して読んでみると(長い。上下巻で1000ページ超える)、原典は知らんけど、知っていた言葉の復習みたいになって面白くはある。フロイトによる四次元の性的解釈や症例の紹介も、テクストとして面白いし。
でもさ、改めて繰り返すけども唖然としちゃいますよね。こんなむちゃくちゃなことを言っていて、20世紀最大の思想家の一人って。フロイトがそこまで偉いなら20世紀なんてゴミみたいな時代だったのでは、とさえ疑ってしまうのだけれど、人間の心にコントロールできない/アンタッチャブルな「無意識」という領域を設定したのは偉大だったんだな、と思う。コントロールできない無意識の働きによって、人間の主体が動かされ、病的な状態に陥ってしまったりする。
近現代以前の社会においてはそれこそ、精神的な疾患が、神がかりとして解釈されたこともあった。人間の心に対して、アンタッチャブルな神が働きかけ、その影響によって疾患が発生する的にね。こういう発想って、人間の心っていうのが、一枚岩の「心」であって、外部からの影響力によって、なにかが起きる、と図式的に理解できる気がする。でも、無意識が発明されたことによって、影響力を与えるものが、心の内部にも設定されることになる。この心の図式の書き変え的な部分は、たとえフロイトが「それはないでしょう」という精神分析をおこなっていたとしても、すごく重要に思われた。
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