E.R. クルツィウス 『ヨーロッパ文学とラテン中世』

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ヨーロッパ文学とラテン中世
E.R. クルツィウス
みすず書房
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2か月ほどかけてクルツィウスの『ヨーロッパ文学とラテン中世』を読んだ。ドイツの大大大権威というべき文学者による大著であり、測ってみたら厚さ5.6cmもあった。我が家にある一般学習者向けの辞書群のどれよりも分厚い。凶器サイズ。値段もなかなかのものだが、わたしは行きつけの古書店でたまたま現在の低下の3分の1ほどで手に入れられた(状態はあまり良くない)。

読んだ、と言っても、ホメロスからゲーテまでの2600年にわたる文学史を扱った本書の内容を、たった一度の通読で受け止められるハズがなく、かなりライトな読み方になってしまった。そもそもこれを読むのに相当な教養が必要とされるので、読みこなせる人間が日本に何人いるのか、とも思う。ギリシア語、ラテン語、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語……ヨーロッパ文学の主要言語がほぼコンプリート状態で登場して目が眩むだけでなく、その引用にたまに訳がついてなかったりする。訳者が位置づけるように「ヨーロッパ文学について今世紀(20世紀)に書かれたおそらく最も重要な書物」であるならば、文庫化などしてもっと世の中に行き渡るようになってもいいのに……と思うのだが、この内容の濃さだと、文庫化して行き渡っても(本当の意味では)読まれない、ということになりそう。

以下、わかったところだけ触れていくけれど、本書でクルツィウスが示しているのは、ホメロスからゲーテまでの2600年間に、どのように文学が学ばれ、読まれ、書かれたのか、という営みの歴史である(なんか改まって書いてみたが、学んだり、読んだり、書いたりの歴史って文学史ってことじゃん、と思った)。ある特定のテーマについて言及する際に、使われる常套句の変遷を追ってみたり、とか、ロマンを感じる話だったし、猛烈に歴史を感じた。扱ってるテーマは多岐に及ぶけれども、個人的には「象徴としての書物」の章を一番興味深く読んだ。

小ネタ的には、ラテン系の民族は俗語とラテン語が似てたので、ラテン語に俗語的な乱れがあり、対照的にはゲルマン系の民族は最初から外国語としてラテン語を学ぶため、乱れがなかった、というのが面白かった。なのでラテン語と俗語が言語的に近いイタリア人が、ドイツ人の物笑いの種になることがあった、とある。

こういうのって、現代でもあるよな……と思う。日本人よりも戦国時代に詳しいアメリカ人とかさ。今の日本だと、そういうのって「アメリカ人なのに、なんでそんなに詳しいんだよ!」とお笑いの対象になってしまいがちだけれども、ラテン中世には「イタリア人よりもラテン語ができるドイツ人」に「すげーけど、なんでお前らの方がラテン語できるんだよ!」と逆に突っ込むイタリア人はいなかったんだろうか、と思う。ラテン語の正しい形が、ラテン語から遠いところで保存されていた、という話が含むロマンも、私の好みである。

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