河出書房新社 (2014-11-14)
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だが、こないだ『万葉集』を読んだときに「『万葉集』の読み方は平安時代にはわからなくなっていた」という記述をどこかで目にし、そのようなこだわりが消え失せてしまった。「え?! そうなの、じゃあ、原文の音とかにこだわっててもしょうがなくない? そもそも、現代に伝わる原文も校訂者の目を通ったものが一般的な読者の元に届くわけだし、古典のオリジナルに触れる、っていうの幻想じゃん?」とか思ってしまい、まあ、簡単に言えば、どうでも良くなってしまったのだ。内容がわかれば良いんじゃないの、原文が読めるのには越したことはないけど、読むための勉強するのもめんどくせーしな、と。
そういうわけで池澤夏樹訳の『古事記』は、どんなものだろうか、と期待してたのだ。現代語になって読みやすくなり、さらに訳者が作家、って一挙両得じゃん、みたいなね。でも、ややハズレだった。昔、古川日出男が村上春樹をリミックスしたときのような仕事ぶりを勝手に想像していたら、どのへんが池澤夏樹っぽいのかよくわからない異様なマジメさであり、脚注にところどころ、訳者っぽいコメントが入っているのだが、全然遊びがない。
これが2000円(税抜)って高くないか、とちょっと思う。岩波文庫に入ってる『古事記』だって、そりゃあ、現代語訳と比べたら読みにくいけれども、読めないわけじゃない。この程度のものなら、池澤訳より岩波文庫のほうをオススメしたい。国文学者の三浦佑之の解題に「古事記の神話でもっとも大きな分量を占めているのは、オオクニヌシの話だ」という指摘があり、おお、たしかにそういえば、と思ってちょっと面白かったけれども。ただそれが「滅び去った者たちへの側に寄りそっている」ように読めるかどうかはよくわからない。
そういうロマンティック(?)な解釈をしなくても、やたらと年長の神々にいじめられ、結婚するときは舅にやたらと難題をふっかけられ、殺されては蘇り、というひどい目にあいながら国を治めるのに、いきなり別な神様がやってきて「あんたの国、ウチで収めたほうが良いと思うんで」と乗っ取られてしまうオオクニヌシの物語は、むちゃくちゃで面白いじゃんね、と思う。あまりにロマンティックなされちゃうと鼻白んじゃう。
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