登場する対談相手は、今となっては「誰これ……」という人が多く、今もよく聞くような名前というと蓮實重彦、槇文彦ぐらいしか生き残ってない感じがある。精神分析や文化人類学の用語や、ロラン・バルトやミシェル・フーコー、イワン・イリイチといった固有名詞が飛び交っているのにも、まあ、時代を感じる、というか、ニュー・アカデミズムの空気感を感じるんだけれども、それ以上に興味深いのは、伊丹十三が対談相手と写っている写真だった。これ、毎回対談相手の自宅に行っているようなのだが、キッチンにしてもダイニングにしてもリヴィングにしても、そこに写っている家具が、もうめちゃくちゃ時代がかっていて、言ってしまえば、思想や料理なんかよりもずっと古臭いのね。当時、最先端の知識人たちでしょう。ひとりぐらい古臭くないセンスの家ががあっても良いと思うんだけど、エヴァーグリーンなのは伊丹十三だけ。そこもまた恐ろしいんだ。
登場する対談相手は、今となっては「誰これ……」という人が多く、今もよく聞くような名前というと蓮實重彦、槇文彦ぐらいしか生き残ってない感じがある。精神分析や文化人類学の用語や、ロラン・バルトやミシェル・フーコー、イワン・イリイチといった固有名詞が飛び交っているのにも、まあ、時代を感じる、というか、ニュー・アカデミズムの空気感を感じるんだけれども、それ以上に興味深いのは、伊丹十三が対談相手と写っている写真だった。これ、毎回対談相手の自宅に行っているようなのだが、キッチンにしてもダイニングにしてもリヴィングにしても、そこに写っている家具が、もうめちゃくちゃ時代がかっていて、言ってしまえば、思想や料理なんかよりもずっと古臭いのね。当時、最先端の知識人たちでしょう。ひとりぐらい古臭くないセンスの家ががあっても良いと思うんだけど、エヴァーグリーンなのは伊丹十三だけ。そこもまた恐ろしいんだ。
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