原 武史
朝日新聞出版 (2015-04-07)
売り上げランキング: 310,734
朝日新聞出版 (2015-04-07)
売り上げランキング: 310,734
病気がちで中断されがちであり、うまく進まなかった勉強の代わりのように、日本各地を巡って現地で社会科見学みたいなことを繰り返してたら、格段に学習成果がでた上に健康問題も劇的に改善されていった、とある。感情を抑制し、臣民の前に生身の姿を見せなかった明治天皇とは真逆で、大正天皇は思ったことをすぐに口に出し、メディアや視察を通じて自分の姿を披露した。次の天皇である昭和天皇は、明治天皇を理想の君主のように教え込まれたようであるが、大正天皇は、明治天皇のような君主のイメージから離れることで健康を取り戻していく。しかし、それは皇太子時代の話であり、明治天皇の死去とともに「天皇」の役割にはめ込まれるのを余儀なくされると、急速に体調を悪化させてしまう。このあたりに大正天皇の悲劇性があると思った。
前述のように、昭和天皇が理想の君主と教え込まれたのは明治天皇だった。では、大正天皇は無視された天皇だったのか。なにも影響を及ぼさなかったのか。大正天皇を無能な君主として評価する研究もあるというが、著者はこうした評価を否定している。メディアを通して、臣民の前に姿を見せ、アピールをしはじめた天皇は、大正天皇が初めてだったし、そうした戦略は昭和天皇の時代にも引き継がれていた。その家庭的な生活ぶりは、大正・昭和の人々の家庭観にも影響を与え、また各地を視察した際には、訪問先で公共事業が活発になり、経済効果も生まれている。実は大正天皇が病弱でなかったら、昭和という時代もだいぶ違ってたんじゃないのか、とか思わさせる。
コメント
コメントを投稿