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クレンペラーとか古い指揮者について












 まさかクレンペラーの映像はないだろう……と思っていたのですが、あっさりと見つかってしまうのがYoutubeの恐ろしいところでありまして、見つかったのは『Art Of Conducting』というDVDの一部。冒頭はフィルハーモニア管とのリハーサル風景。曲に聞き覚えがあるのだけれど詳しくは分かりません。クレンペラーはヴァイオリンに対してボーイングを身振りで指示しつつ指揮していますが、途中で「カッ」と表情を変えてバンバンと譜面台を叩き「俺の言ったとおりのボーイングで弾けよ!」と一喝。おっかねぇ……。





 英語の聴き取りが苦手ながらも、頑張って聴き取った関係者のインタビューの内容もなかなか興味深く、特に映像が1964年のベートーヴェン交響曲第9番に切り替わった後に出てくる人のクレンペラーのテンポにまつわる話は「なるほどなぁ、言いそうな話だ」と思いました(彼は『テンポに従え』とは言わなかった、とか言ってる)。指揮映像が全て断片的なものなのが残念ですが、素晴らしいですね。





 演奏会中舞台から転げ落ちて下半身不随になった後の記録なので、全て椅子に座って指揮しておりますが立ち上がったら2メートルを超える長身。そして巨大な黒いフレームのメガネ。長身、メガネと昨今におけるモテ要素をふんだんに含んでおり、何故クレンペラーがフルトヴェングラーほどの人気を得ていないのか納得いかないところです。良いですよ、クレンペラー。ちょうど録音技術が高まってきた頃にEMIと仕事をしているため、木管が強調された独特の豊かな響きがちゃんと捉えられている。



ベートーヴェン:交響曲第9番
クレンペラー(オットー) フィルハーモニア合唱団 ホッター(ハンス) クメント(ワルデマール) レーブベリ(オーセ・ノルドモ) ルートヴィッヒ(クリスタ) フィルハーモニア管弦楽団 ベートーヴェン
東芝EMI (2004/06/23)
売り上げランキング: 26,276



 ところでこの『Art Of Conducting』の映像、他の指揮者の映像もアップされていて思わず垂涎。トマス・ビーチャム、アルトゥーロ・トスカニーニ、ブルーノ・ワルター、フェリックス・ワインガルトナー、アルトゥーロ・ニキシュ……と20世紀前半に活躍した伝説的指揮者の指揮ぶりが観れます。そのなかでも個人的にはレオポルド・ストコフスキーの指揮法が「やっぱりカッコ良いなぁ」と。音楽が煮崩れしてしまうぐらいメロディを歌わせたり、作品をガンガン編曲して曲を作り変えちゃったりする点がよく語られますが、現代のオーケストラ配置を考えたり、現代音楽の初演に熱心だったり20世紀の音楽でとても重要な人物。





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