画一化はダメ、絶対。

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啓蒙の弁証法―哲学的断想
マックス・ホルクハイマー テオドール・W・アドルノ 徳永 恂
岩波書店 (1990/03)
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 ここにきて初めてアドルノの「社会学っぽい本」を読んだ気がする。が、死ぬほど難しく、今の私にはちょっと手に余るぐらい難しい本だった。頑張ったよ、俺。もし「精神と時の部屋」があったら、ミスターポポにお願いして部屋に入れてもらい、何度も読み返したいと思った。





 ホルクハイマーとアドルノの共著で「どんな風に書いたか」っていうのは本の内容とはまるで関係ないし、全く重要ではない事柄なんだけれど、非日常的な言語が飛び交うこの本を二人してどんな風に練り上げて行ったか、っていうのはちょっと気になる。片方が「こんな風に書いてみたんだけど……」って草稿を持って行ったとして受け取るほうはちゃんと読めたんだろうか、コミュニケーションが問題なく行われていたんだろうか、などという不思議さがある。それこそ二人の間に《文明によって失われた他者への有機的連合というミメーシス》があったとしか思われない……なんて。





 それはさておき、内容は「(世界を呪術から解放するためにあった)啓蒙がいかにして呪術的なレベルまで逆行するに至ったか」を痛烈に批判するのが一つのテーマ。カント的な理性や合理主義がどのように硬直した、画一化された、暴力的な事物へと向かっていく過程のアレゴリーを『オデュッセイア』のオデュッセウスとセイレーンの神話用いて説いている。それ以降は(特にアメリカの)文化産業と、反ユダヤ主義についてのお話。読みやすかったのは文化産業についての箇所なんだけれど、前回『プリズメン』を読んだ感想にも書いたとおり、ここには既にボードリヤール的な言説があってびっくりした。あとベンヤミンだ、ベンヤミン。



文化産業が人々に約束できるものが少なくなり、人生を意味あるものとして説明することができなくなるにつれて、文化産業が流布するイデオロギーも、当然、空虚になっていく。(p.225)



 こういうちょっとしたところもすごく面白い。ポモっぽいのに、ポモではない。この本を読んでいて、9.11は過ぎ去ってしまったけれど、読む時期としては悪くない。序文に「何故に人類は、真に人間的な状態に踏みいっていく代りに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んでいくのか」という素朴で深刻な筆者たちの疑問があるのだけれど、もうなんかどうしようか、どうすれば良いんだろうか、っていうぐらいの難問で現代性を持ったテーマだよな。こういう難問に立ち向かおうとするのは「勇気あるなぁ」って思って感動するよ、本当に。泣けてしまう。





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