モリエール『タルチュフ』

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タルチュフ (岩波文庫 赤 512-2)
モリエール
岩波書店
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 「モリエール一気読みプロジェクト」最後は『タルチュフ』を。今年に入って7冊連続でモリエールの喜劇を読んできたが、そのなかでもこれが最も面白かった。落語で言うなら「クスグリ」と呼べるような笑える挿話は少ないが、いんちきキリスト教徒タルチュフが、富豪の男につけこんで娘とその財産をもらいうけようとする……そればかりか、男の妻までも自分のものにしようと計略する!という内容は「猛毒を含んだ喜劇」とでも呼べるだろうか。とにかくタルチュフが、いつも大袈裟に神の名を持ち出して信仰心をもっともらしく見せつけようとするのだが、それらはすべて偽りであり、詐欺である。今読んでもなかなかスキャンダラスな内容に思えるだけあって、初演当時は大変な大騒ぎ。この劇は上演禁止となったそうだ。





 タルチュフを信じきってしまっている男の目をどうやって覚まそう、あるいは、どうやってタルチュフを家から追い出そう、というような富豪の男の家族の奮闘振りも大変面白いのだが(暴力的な人物、理性的な人物、そして男の妻が中心となっていて、このあたりの性格の書き分けがものすごく上手い)、それよりも興味深かったのは、この劇が大団円へと向う終幕部分である(ここからネタバレ)。富豪一家は無事タルチュフを屋敷から追い出すことに成功するが、そのとき既にタルチュフは財産の権利書を譲渡されてしまっていた。追い出されたタルチュフは、法律を盾にして反撃に出ようと警察権力まで動かそうとする。が、最後の最後で「国王はすべてお前の正体など見破っておられるのだよ」という具合に、タルチュフが詐欺師として逮捕される……という、まぁ、いつもどおりかなり強引な展開なのだが、『タルチュフ』の強引さは他の作品とは違って注目に値する。





 他の作品、例えば『守銭奴』でも『スカパンの悪だくみ』でも良いのだが、そこでの「強引な展開」とはすべて神的な存在によって運命付けられた展開といっても良い――息子と結婚させようとした美女が実は、親友の生き別れの娘だった……息子と結婚させようとした美女と、息子が自分に黙って逢瀬を重ねていた美女が同一人物だった……など。しかし、ここでは国王、つまりルイ14世のことなのだが状況のすべてを一変させる。これは国王の権力が神を乗り越えた瞬間、と捉えるのは大げさだろうか。ここで登場する国王の権力は、現世からくるデウス・エクス・マキナのようにも感じられ、強く心にとまった。





2 件のコメント :

  1. 『重力の虹』『トリストラム・シャンディ』『ドン・キホーテ』などと,モリエールの一連の作品が同じ地平(というか同じノリ)で読まれるのだな~と改めて感じました.こういう区分は適切ではないかもしれませんが,「リアリズム」(現実を描写する小説)が存在して,そして「メタフィクション」(小説を描写する小説)があるというより,実は「メタフィクション」が最初にあって,それらの一派生系が「リアリズム」なのかと,ぼんやり考えました.

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  2. そう並べると『重力の虹』だけものすごく時代が離れていますが、ピンチョンには古典的様式の採用は指摘できますよね。
    文学史に疎いので不正確なことしか言えませんが、小説の形式の発展には「私は小説を書いている」という作家の自意識が不可欠だったのでは、と思います。これは小説家は皆、小説について書いていること限りなく近い意味を持っているようにも思います。犬さんの指摘から思いついたことです。

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