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ヘルムート・ラッヘンマン《Reigen seliger Geister》の解説




Helmut Lachenmann: Grido; Reigen seliger Geister; Gran Torso

Kairos (2008-01-14)
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 昨日*1の続き。サクサク進めてしまったが、《Reigen seliger Geister》は、後半の段落がよくわからずかなり適当に訳した。なんか批判理論っぽい話。



《Reigen seliger Geister》

 《Reigen seliger Geister(祝福された魂の輪舞)》は、空気で音を鳴らす、あるいは音を空気で鳴らす、といった知覚のゲームです。私は冒険的な最初の弦楽四重奏曲《Gran Torso》は楽器の演奏という領空を侵犯するような作品――この領空侵犯は長い年月をかけて、最近でも他の作曲家によって行われ続けています――を書いた後、ファサード*2としての、あるいは名目としての「書かれたもの」という音程の布置連関に注目しました。音程といったものは、自然な音階や、アーティキュレーション、音の減衰とう風に理解されています。しかし、音楽の急激に全休止すること、または弦の振動を止めてしまうこと(例えば、弓がponticello*3とtasto*4の間で変化させることによって音の内容には変化が生まれます)といった試みにより、私は「死んでしまった」調性構造を打破し、生にたいする客観性をもたらすような経験を導きたかったのです。


 このような行動の領域は、劇的であったり、変化をもたらすようなものであったり、逆に忘れられてしまったような様々な演奏技術によって決定されます。ピアニッシモとフォルティッシモの間には様々な中間的な価値ともよべるものが抑圧されているのです。外見的には、音階のない音のなかで、弓弾きが突然なくなったり、突然現れたりします――それまでピッツィカートを連続して弾いていても、状態は長続きせずコロコロと変わっていきます。もしかしたら、あなたは裸の王様に弁明するような気分になるかもしれません。





※ 《Reigen seliger Geister》はアルディッティ弦楽四重奏団への献呈作品。Festival d'Automne(パリの音楽祭)と、Foundation "Total" pour la Musiqueの委嘱作品。1989年6月4日、Genfにてアルディッティ弦楽四重奏団により世界初演が行われた。




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 これもYoutubeにある。ラッヘンマンの弦楽四重奏曲全集がYoutubeに集まってるなんて……。




*1ヘルムート・ラッヘンマン《グラン・トルソ》の解説 - 「石版!」


*2:音楽の概観、見かけを暗喩しているかと思われる


*3:駒の上で弾く奏法


*4:指板の上で弾く奏法





コメント

  1. えっと、原文を見ると、「Air」は「Luft」になってるので、彼の打楽器協奏曲のことではないです。そういうわけで、最初の部分は、「空気で音を鳴らす、或いは音で空気を鳴らすといった、知覚のゲームです。」という感じではないかと思います。

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  2. ありがとうございます!訂正させていただきます。

    返信削除

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