ベラ・バルトーク:《4つの哀歌》から第4番
フランツ・リスト:《巡礼の年第3年》から「エステ荘の糸杉に寄せて 葬送歌第1」
オリヴィエ・メシアン:《鳥のカタログ》から「カオグロヒタキ」
フランツ・リスト:《巡礼の年第1年「スイス」》から「オーベルマンの谷」
フランツ・リスト:《巡礼の年第3年》から「エステ荘の噴水」
ラヴェル:《鏡》(全曲)
ピエール=ロラン・エマールのリサイタルへ。このピアニストの来日演奏会は、3年連続で聴きに行っているけれど、毎回素晴らしい演奏を聴かせてくれ、満足感が非常に高いライヴを提供してくれる稀有な演奏家だと思う。今回もアンコールがほとんどリサイタルの第3部と化しており、聴衆が満足するまで自分の演奏を聴かせる、という異様なほど高いサービス精神を発揮。クルターク、ブーレーズ、ベンジャミン、シェーンベルクなどの楽譜を舞台裏から出してきて、さっと弾いてみせるところには感服せざるを得ない。
エマールが編むプログラムでは、毎度なんらかのテーマが設定されている、ということはよく知られている。ある年は「フーガ」であったり、ある年は「変奏曲」であったり、という風にそうしたテーマに基づいて選曲がおこなわれる。そこでは現代音楽と古典を交互に演奏されたりもする。すると、なんら関連性もない作品から、このプログラミングによって、なんらかの共通点が浮かび上がる。音楽による批評、というか共時的構造化、というか、彼が編むプログラムとはそうして新しい耳を拓くものだろう。ここで共時的構造化、などと言ってみたのもたまたま井筒俊彦の著作を今読んでいるからなのだが(この超絶的な知的大巨人についてはいずれ改めて書こう)、例えば、井筒が真言密教とカバラを結びつけるようなことを、エマールはおこなっている。
さて、今年のテーマを想像してみると「和音」に重点がおかれていたように思われた。とくに和音の持つ色、というかイメージ、というか。前半に並んだバルトークから「オーベルマンの谷」は「重い音」で共通していたように感じたし、後半の「エステ荘の噴水」から《鏡》には華やかな色合いに共通するものがあった。もちろん、「悲しい鳥たち」とメシアンが、「洋上の小舟」と「エステ荘の噴水」が、「鏡の谷」と「オーベルマンの谷」が重ねられていることもあっただろう。しかし、標題的な共通項よりも、音のつながりのほうが強固に響く。バルトークやリストの作品はここで初めて聴くものだったが、こうしたつながりのなかで聴くととても興味深かった。
前半はメシアンの「カオグロヒタキ」がさすがの出来。端正に整えられた演奏のなかにメシアンが描く宇宙的な壮大さが照射されたかのようだった。地上にいる鳥の鳴き声と、天球から地上へと放たれるオーロラのような和音の色彩の配置が素晴らしかった。後半でも特に印象に残っているのが鳥にまつわる曲、「悲しい鳥たち」。《鏡》のなかで一番好きな曲、というのもあるが、エマールが奏で、ホールに響いた美しい音が頭から離れない。フェティッシュな感想ではあるけれど、あの美音ひとつとっても聴きにいって良かった、と思わされた。
Ravel: the Piano Concertos/Mirposted with amazlet at 10.12.14Ravel Aimard Boulez Cleveland Orchestra
Deutsche Grammophon (2010-10-05)
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