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ジョン・フェイヒーについて



 先日の文学フリマにご来場いただき、『UMA-SHIKA』を購入してくださった方、ありがとうございました。イベントのご報告についてはこちらに書かせていただきました。当日会場にこられなかった方々向けに通販も承っております。注文方法についても記載をおこなっておりますので、ご興味がある方はチェックしてくださいませ。




 さて、イベントの最中ブースで売り子をしておりましたら、当ブログの読者の方がいらっしゃいまして、そのときジョン・フェイヒーの話を少ししたのでした。ちょっと立て込んでいたこともあり、ちゃんとお話できなかったのが残念に思われましたので少し、彼について書いてみます……と言っても私もそんなに詳しいわけではないのですが。このアメリカの個性的なギタリストについては日本語のインターネット記事が全然ないんですよね。なので、Wikipediaの英語ページ*1から、まずは適当に翻訳しておきます。



ジョン・フェイヒー(1939-2001)はアメリカのソロ楽器としてのスティール・ギターの先駆者的なフィンガー・スタイル・ギタリスト兼作曲家。彼のスタイルは、大きな影響力をもち「アメリカ原始主義の礎」と評された――これは絵画から借りてきた言葉で、主に独学で言えた音楽の本質とそのミニマリスト的なスタイルに関連付けられたものだ。フェイヒーは、アメリカのルーツ音楽であるフォークやブルースの伝統を借用し、そして、これらのジャンルにおける忘れられつつあった初期の録音の多くを編纂している。また、彼は後にクラシックやポルトガル音楽、ブラジル音楽、インド音楽を取り入れている。彼が書いた(事実関係が怪しい)自伝では、彼の皮肉っぽさや、人付き合いの悪さ、乾いたユーモアなどをうかがい知ることができる。フェイヒーの晩年は、貧困と不健康に悩まされていたが、前衛へと回帰し、そのあまり有名ではないキャリアの復活を愉しんでもいた。2001年、心臓手術後の合併症により死去。2003年には、ローリング・ストーン誌が選ぶ「歴代ギタリスト・ベスト100」において35位にランク・イン。



 この記事は結構充実していて、自分で作曲した曲を「忘れられていたブルースの名曲」として発表し、それにでっちあげのライナーノーツを書いていた……とかなんとかと言ったエピソードも紹介されている。まあ、なんか一ひねりも二ひねりも効いた人物だったみたいなのだが、Youtubeには結構映像がアップロードされているんだよな。



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 1969年と1996年の映像。どちらもソロの映像だけれど、クラリネットやベースやヴァイオリンを加えた編成のバンドでの録音もあるので、結構活動の幅は広いです。いや~、それにしても、この映像、めちゃくちゃ良いな……。



Womblife
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 晩年のジョン・フェイヒーが注目を浴びるきっかけとなったのは、ジム・オルークがプロデュースしたこの『Womblife』というアルバムになるのかな。私も学生の頃に友人*2にこのアルバムを借りて、初めてジョン・フェイヒーという人を知ったのだった。これはドローンを背景にして、フェイヒーがギターを弾いている怪作品(ソロでなが~い即興演奏をしているトラックもある)。初めは「なんだこれは……」とよくわからない気持ちでいっぱいだったけれど、妙にひっかかるものがあり「この人の別なアルバムを持ってたら貸してよ」とお願いした記憶がある。たぶん、フェイヒーが死んで、あんまり経ってないころの話。ちょうど、その頃、チャールズ・アイヴズの交響曲をよく聴いた時期でもあり「アメリカの音楽の原風景ってこんな感じなのかな~」と思っていた。



Of Rivers and Religion/After the Ball
John Fahey
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 『Womblife』のあとに何を借りたのか覚えてないんだけれど、今年に入って自分で買ったものでは『Of Rivers and Religion』『After the Ball』というアルバムが一枚に収録されたCDをよく聴いています。ソロ演奏もあり、トランペットやクラリネットを加えた大きな編成での演奏もあり、一枚のCDでフェイヒーのいろいろな面に触れられるから、とてもお徳。良い塩梅な心地良い温度をもった音楽だな、と思っていて、聴いているとすごく気分がほぐれてきます。




*1John Fahey (musician) - Wikipedia, the free encyclopedia


*2:この友達、というのが「だんおにろく」という、かつて『クイズ・マジック・アカデミー』というクイズ・ゲームで都内ランキング上位常連者だったゲーマーなのだが、それはさておき……





コメント

  1. わわ、こんなエントリを書いて下さっていたとは!長い間返事できなくて申し訳ございません!そして文学フリマではありがとうございました。

    僕も最初にフェイヒィに触れたのは『ウームライフ』でした。しかし当時は何だこの緊張感ゼロの音楽は…としか思えませんでした(汗)。本当にジム・オルークの師匠なのかと。

    でもその後Youtubeに転がっている動画を視聴して、オルークが影響受けてるのがわかりましたし、とても魅力溢れるギタリストだと気付かされましたね。ウィルコ等カントリーに近い音楽を聴き慣れたのですんなり入っていけたんだと思います。フェイヒィ以外聴くものが無いという時期もありました(笑)

    フェイヒィの作品の中でも僕が一番よく聴くのは"Transfiguration of Blind Joe Death"です。聴いてきた中ではギターが饒舌で演奏が冴えており、アイヴス~オルークにあるようなアメリカ性が如実に出ているアルバムだと感じます。何よりメロディがあって聴きやすい(笑)

    何で自分がフェイヒィ好きかと考えてみると、広がりを持っている音楽だから、というのが一応の答えとしてありそうです。フェイヒィのインタビューで「過去の曲に思いを寄せ、そしてそこから自分の感情を爆発させる」といった発言があったようです。それは伝統的なブルースの形式を取りつつも即興によって今現在のフィーリングを表現するという彼の手法が、過去と現在あるいは束縛と自由の二つの面をクロスオーバーして表す音楽であることを端的に示す言葉のような気がします。そして僕はここに可能性を感じるのかもしれません。

    日本語での記事ですが、高田漣氏のこの文章がよい紹介になるのではないかと思います。http://blog.madamefigaro.jp/ren_takada/post-22.html

    長文&駄文失礼しました。これからもブログ拝見させて頂きます。

    返信削除
  2. こちらこそなかなか返信が返せずもうしわけありません!
    高田漣さんのブログの紹介ありがとうございます。興味深く読ませていただきました。
    これからもよろしくお願いいたします。

    返信削除

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