ドイツにおけるルネサンスを代表する画家、デューラーの展覧会にいってきました。12月のはじめぐらいまでは藝大の美術館のほうでもデューラーに関連した展覧会(彼が制作した『黙示録』を題材にした作品)が開かれていましたが、そちらには行けず。これについては残念極まりない感じでしたが、こちらの国立西洋美術館のほうの企画展だけでも、デューラーがいかにエポック・メイキングな芸術家だったのか、というのがわかる素晴らしい企画だったと思います。全部の作品をじっくり見ようと思えば、軽く三時間は必要。しかし、会場が広く、また、この手のジャンルが日本で人気がない(? 日本で人気があるのはやはり印象派でしょう)のもあって、ストレスなく素晴らしい作品を鑑賞できました。作品の横に併置された解説も丁寧で、勉強になります。
線によって描かれた陰影の表現、これがやはり素晴らしく、白い部分が白以上に輝いてみえる。たとえば、犬の毛並みの表現なんか、半端じゃなくテロテロしてるんですよね、そういうところが見ていて楽しかった。どこで読んだかは忘れてしまったのですが、デューラーは絵画を、何かを理解するための補助的な手段として考えていました。絵画を介することによって、聖書の中身や様々な技術はより一層理解されやすくなる(大意)。こうしたデューラーの言葉は、展示された解説文のなかでも引用されていました。こうしたところから、彼はイメージが人に与える効用というものを強く意識した画家であった、ということができます。
彼が生きた時代というのは、活版印刷が発明されて、印刷物というのが大きなビジネスになりはじめた時代でした。この時代の流れに乗ったのがデューラーだった、というのがこの企画展では大きくフィーチャーされています。展示の第一部は、キリスト教を題材とした作品が並べられていますが、これはもちろん、イメージによってキリスト教の教義を理解しやすくし、そして、印刷物によって広く頒布するためだったのです。また、第二部の肖像は、当時の権力者のためのプロパガンダとして機能しましたし、第三部の自然をテーマにしたものは、博物学的なものとも関連するものでしょう。こうした観点から、デューラーの制作活動は、元祖メディア・アーティスト、元祖複製技術時代の芸術家、として捉えることができるように思いました。
個人的には、デューラーの「犀」が見れただけでも、満足でした。博物学に興味を持つものならば、誰もがあの図像には憧れを持つものでしょう。オランダだかポルトガルだかの王様に献上されるために、船に載せられたあいだ、皮膚病になってしまった可哀想なサイ。その詳細な描写は、よくみるとちょっとキモち悪いんですが、超カッコ良い。会期の終了がもうすぐなので、興味がある方は是非!
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