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読売日本交響楽団 第513回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(読売日響桂冠名誉指揮者)
ショスタコーヴィチ/交響曲 第1番 ヘ短調 作品10
ブルックナー/交響曲 第3番 ニ短調 WAB.103
今季最後の読響定期は桂冠名誉指揮者、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(御歳88歳)が登場。前半のショスタコーヴィチは、スクロヴァチェフスキ曰く「ショスタコーヴィチは20世紀のブルックナー」なんだそうです。一般的にはポスト・マーラーのシンフォニストと見做されることが多いショスタコーヴィチ。今回演奏された交響曲第1番は彼が19歳のときに書かれたもので、この頃から諧謔趣味というか、人を食ったような作風がしっかりと楽曲に刻まれていて、まさに天才の仕事という感じがします。さすが《ソヴィエトのモーツァルト》。改めて聴いてみますとゆっくりとしたテンポで煩悶するように進行する箇所は、マーラーの交響曲第9番のように聴こえます。

第1楽章、第2楽章はオーケストラの演奏精度に少し難があったのが残念。とくにクラリネットのソロは要求されたテンポに追いついていなかったのでは。あとトランペットのソロも音を外していたのが気になりました。良かったのは第3楽章。この緩徐楽章はまさに「20世紀のブルックナー」というか、スクロヴァチェフスキのブルックナーのアダージョそのままのトーンで響き、冒頭からのけぞりました。全体として考えると、割と普通の演奏だったかな、という感じなのですが、読響のお客さんはスクロヴァチェフスキに優しすぎるため、熱狂的な拍手が起こっていたのが印象的です。ショスタコーヴィチの第4楽章では曲の途中で拍手があったり、フライング・ブラボーがあったり(これはなんとブルックナーでも!)一早く拍手して気持ち良くなりたい一部の度を超した方々の存在も残念でした。

後半のブルックナーは、打って変わって圧巻の出来、ほとんど完璧、と言っても良い出来でした。こういうブルックナーを聴かせてくれるからスクロヴァチェフスキは優しくされても文句が言えないんでしょうね。予習しておこうかな〜、と思いつつ出来ず仕舞いになってしまい、今回の演奏会で初めて聴くことになってしまった交響曲第3番ですが「ブルックナーの交響曲にベートーヴェンの第9番を意識していない作品はない」という定説の通り、冒頭から「俺も《合唱付》みたいな荘厳な感じの始まりの曲が書きたいぞ〜」という意図がビンビンに伝わってくる気がしました。《合唱付》を意識しながら楽曲を書いているのに、結果としてかなり別物になってしまうところがブルックナーの面白いところなのかな。第2楽章のアダージョなんかもろに《合唱付》の第3楽章なのに、異様に牧歌的な雰囲気が漂っているのはブルックナーらしい、というか。

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