六世紀ごろに生きた中国の僧侶、慧皎は中国に仏教が伝来した一世紀から六世紀初頭にかけて、中国における仏教の普及と研究に貢献した偉いお坊さんんの伝記をまとめ上げている。それがこの『高僧伝』という書物。邦訳では全四巻。原本は十四巻になる大作。岩波文庫の一巻目はこのうち、天竺からやってきてありがたいお経や中国に持ち込み、その翻訳を行った僧侶たちについて書かれた「訳経篇」を収録。すでに全四巻の書評などもいくつか出ていて絶賛の嵐ですが、この訳業は本当にすごい仕事だと思いました。現在日本につたわっている様々な版からオリジナルに一番近い文を検討する、という試みはもちろん、とにかくリズミカルでなめらかな訳文が素晴らしい。仏教用語や中国の地名、人物についての注釈なども豊富でありがたいことこの上なし。偉いお坊さんの伝記であり、また慧皎以前に書かれた伝記の研究書でもあり、かつ仏教の教えを解説さえしてくれる本書の魅力を十二分に伝えてくれるものでしょう。
康僧会、鳩摩羅什や法顕など山川の世界史資料集にも登場するメジャーな人物たち、その他が一体どういう人生を歩んできたのか。読んでいて面白かったのは、まず中国における仏教史のイメージが書き換えられていくところです。正確にいうと、そもそもそんなイメージは皆無に近かったですし、これは普通の人なら同様でしょう。中国史の部分ですから、みんな『少林寺』に出てくるみたいな我々と似たような顔をしたお坊さんがいたんだろう、と想像してしまう。が、偉いお坊さんたちは天竺からはるばるやってきているわけです。つまり、黄色人種ではなく、アーリア系であったり、あるいは胡人(ペルシャ系の人たち)であったり、中には目の青いヨーロッパ人を思わせる風貌の人たちもいたのですね。もちろん中国生まれのお坊さんも紹介されるのですけれども。お坊さんでさえそうなのですから、きっと当時の中国には他にも様々な人種の商人なんかがいたのでしょう。本書の本意ではないですがこれは『レッドクリフ』の世界の嘘を暴きたてるようでした(ちなみに『三国志』絡みでは、呉の孫権が出てきます)。
また、天竺からやってきた人びとの多くが、西域経由のルートを通ります。これは『西遊記』の逆ルート。その道のりの険しさが伝わってくるのが面白いですね。西遊記は唐代が舞台で『高僧伝』で扱われている僧侶たちよりもずっと後になりますが、彼らの旅の厳しさは諸星大二郎の『西遊妖猿伝』と併読することで一層具体的になるでしょう。前述の古代中国における人種的多様性もこの漫画ではカヴァーされています。
また神仙思想との混交も見所でしょう。今日での我々の社会における仏教のイメージとは現世利益追求型か、葬式仏教、あるいは禅宗式の求道タイプなどにわけられるように思います。しかし、本書に描かれた仏教の姿はそのように単純に類型化しえません。権力者の病気を癒すために祈る、と同時に、土地の神々と闘い(力関係的には道教的な土地の精霊よりも、仏のほうが上と考えられています)、奇蹟を起こし、求道する。この複雑さも諸星大二郎の漫画に描かれているところであって、諸星大二郎がスゴすぎる、と言いたくもなりますけれど、日本に入ってきている仏教の原型とはこうした得体の知れないものなのですよね。そこを認識せずには、日本の宗教観は正しく理解できないのでは、とも思います。原型を知ることで、日本人が考える仏教に関する歪みが本書で相対化されるのでは。
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