第1巻に引き続き、中国の偉いお坊さんについてまとめる6世紀頃の書物『高僧伝』第2巻を読みました。岩波文庫の第2巻には天竺から伝来した経典を読み解き、中国仏教の基礎を作るのに大きく貢献した僧侶たちを紹介する「義解篇」を収録しています。第1巻の「訳経篇」は、天竺から中国までの道のりが記されるなどロード・ノヴェル風に読める箇所も多々あるのですが、第2巻では抑えめ。その代わり、当時の僧侶たちがどのように仏教を広めようとしたのか、また、どんな論争がおこったのか、などが詳細に語られます。
当時の僧侶たちは、仏教以外の宗教は「外道」、仏教以外の学問の書物は「外書」あるいは「外典」と呼んでいたそうです。儒教や道教の書物といった中国で生まれた哲学・思想もまたそうした「外」のものとして扱われていたのですね。しかし、初期の中国仏教界は、仏教の経典の翻訳や教理の教育体系が整っていなかった、という事情もあって、仏教を勉強し始めようとする人が実は「儒教や道教といった外典についてのほうが詳しかった」といった状況があったようです。仏教は輸入文化ですから、ネイティヴなものと比べて身近さでは適わない、ということなのかもしれません。
興味深いのは、こうした環境で先生役となった僧侶は、仏教の教理と外典の教理で似ている概念があれば、それを読み替えながら理解を促す、という方法をとった、という記述です。例えば「涅槃」(仏教)が「無為」(道教)へと読み替えられる。この教育法は「格義」と名付けられるのですが、比較宗教学的、というか、井筒俊彦の共時的構造化を彷彿とさせる手法だと思いました。日本にキリスト教が輸入され始まった頃には、不干斎ハビアンという僧侶が仏教、神道、キリスト教の比較研究をおこなっていますけれど、異文化との境界にハマったものが取る典型的行動の例が「格義」に見いだされる。
また、第2巻になっても記述自体が面白いのは相変わらず。この本は僧侶たちの伝記集のようなのものですから、その死に際までちゃんと記述されている場合が多いのですが、偉いお坊さんになると自分の死期を悟ってしまい、弟子たちに「では、ちょっと出かけてくるぞ」と一言言ってから死ぬ、とか、いきなり体が光に包まれ、かつ、ものすごく良い匂いが立ちこめてる最中に死ぬ、とか奇蹟のようなものが確認される。光を放ったり、良い匂いがしたり、というのは、中世ヨーロッパで聖母や聖人が幻視されたときの証言にも頻出しており、そうした共通点も面白いですね。あと、どうやら偉いお坊さんはビジュアル的にも優れていて、やたらと容姿端麗な人が多いみたい。
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