内田光子のベートーヴェン・ソナタ第2弾

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ベートーヴェン:ピアノソナタ第28番&第29番
内田光子 ベートーヴェン
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 近年、内田光子はベートーヴェンに集中的に取り組んでいる。昨年は後期の「三大ソナタ」と呼ばれる第30番から第32番までの連作をリリースし、今年の7月に彼女その第2弾となる録音を発売している。この作曲家について彼女自身は「最も近寄りがたい作曲家、神様のような存在」というような発言をおこなっているのだが、1年以上のブランクを開けてのリリースに「やっと自信が持てる形にすることができたのだな」というのが伝わってくる。今回は第28番と第29番を取り上げていて、これで後期のベートーヴェンのピアノ・ソナタはほぼ出揃ったことになる。


 どのような演奏の内容か、ということには上手く触れられない。かなり長い間、内田光子のピアノ演奏を好んで聴いてきた私にとって、今回の録音も「ああ、内田光子の演奏だなぁ」という感想を抱いてしまう。テンポの揺らぎやメロディの歌い方、または音楽が鳴り出すときの慎重さ――それらは私の中で「内田光子」という名前につながってしまう。どのような作曲家をとりあげても「内田光子の○○」として語ることが出来る、そういうピアニストの性格は変わりが無い。


 しかし、第29番《ハンマークラヴィーア》の演奏には驚くべきものがあった。この作品はベートーヴェンが書いたピアノ作品のなかでも、最も技巧的な作品として知られているのだが、私は内田光子を「技巧派」というよりも「詩情的で、パーソナルな世界観をもった解釈者」として聴いていたので、作品との相性が心配だったのだけれど、そんな心配が杞憂であったことを最初の1分で証明するような演奏だ。


 《ハンマークラヴィーア》の冒頭は、ピアノ協奏曲第5番《皇帝》に通じるような、華やかさをもって始まる。その大きなインパクトが去った後、「またこれから改めて音楽をはじめますよ」というしきなおしがあるのだが、この部分の「語りなおし方」が実に素晴らしい。音楽は改められる。しかし、それは全く新しく始まっているわけではない。動と静の有機的な繋がりあいにグッと引き込まれてしまう。


 しかし、それらは全て「内田光子」という名前がついた世界のなかで展開される。いろんな好みをもっている人が、いろんな風に音楽を聴いているクラシックの世界で内田光子の音楽を好まない人がいることを私は想像することができる。「ベートーヴェンのソナタなら断然ヴィルヘルム・バックハウスだよ!」と頑なに信奉する者もいれば、「いや、僕はクラウディオ・アラウの演奏が好きだね。あんな温かみのある音楽は他にないもの」という人がいる。さらには「スヴャトスラフ・リヒテル最強!」と騒ぐ人もいる。内田光子もそういうファナティックな魅力を持ったピアニストの一人に数えられるだろう。


 結局、私も最終的には「ベートーヴェンならバックハウス」(いや、リヒテルのベートーヴェンの異常性も好きなのだが)という選択をすると思う。バックハウスの虚飾の無さは素晴らしい。でも、内田光子の「内田光子的な世界のなかで展開されるベートーヴェン」も素晴らしい。バックハウスと内田光子のベートーヴェンはそれぞれ異なっているし、その間にはすごく距離がある。けれども、そこには優劣は存在しない。「○○より優れている」という言い方は単純に個人の好みへと還元される。


 しかし、改めて考えてみると内田光子がバックハウスと併置されて比べられるという状況は、本当にすごいことだと思う。現代に生きる演奏家が、そういう過去の演奏家と並べられて評価されることのスゴさをもっと尊重するべきだ、と思う。好き嫌いはあるのは理解できる。しかし、こういう音楽の提示ができるピアニストは本当に稀有な存在である。私が求める演奏家とは、技巧的な上手さではなく、そういう世界が作れる人なのだと思う(そして、それは日本の音楽教育のなかで一番欠けているものだと思う)。





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