チック・コリア@テアトロ・ジーリオ・ショウワ

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Children's Songs

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 チック・コリアのアコースティック・ピアノ・ソロを聴いた。チケットを買ってからずっと楽しみにしていたのだが、これは「まぁ、このぐらいのお金を払ったらこんなもんかな(A席4000円)」という感じだった。会場は昭和音楽大学が作った新しいホールで、すごく建物の作りが安く完璧に名前負けしていると思った。


 また学生のバイト(たぶん?)がスタッフをやっているせいか色んなところが不快。チケットが比較的安かったせいで席は8割ほど埋まっていたけれども、終始どこからかビニールをガサガサ言わせた音が聴こえるのとか致命的である。三分の一が大学の学生だったようだが、まずコンサートマナーの講義とかからやったほうが良い。自分が学ぶものに誠意と敬意を見せろ、と言いたい。


 チック・コリアの演奏は「ギャラ、けちったのかなー」とうかがいたくなるほどに、本気からは程遠いものだったが、それでもビル・エヴァンススコット・ラファロの「Gloria's Step」はちゃんと聴かせる。古典的なジャズ・スタンダードよりも、バップ以降に生まれた複雑な曲を弾かせるとこの人は本当に映える。逆に「いつか王子様が」などをやらせると非常に退屈である。技巧の展示会みたいに空虚な時間が過ぎていく。


 逆に面白かったのは、あまりに期待していなかった彼が弾くクラシックである。この日は「私は家でたまにクラシックも弾くんですよ。フレーズの練習とかアイディアをもらうためにね」と語った後に、アレクサンドル・スクリャービンの初期・中期作品(彼が神秘主義に傾倒する前の、すごく健康的な作品)を、それから自分で書いた《Children's Song》の間に何も言わずオリヴィエ・メシアンの何かを差し込んだ(たぶん《鳥のカタログ》からの一曲だろう)。


 「ジャズ・ピアニストが弾くクラシックなんて……」というのは偏見かもしれないが、これが実に酷いものが多い。キース・ジャレットのショスタコーヴィチやバッハなど、狂信的なキース・ジャレットぐらいしか好き好んで聴くものはいないだろう、という出来である。技巧的な問題はもちろん、何よりダメなのはすごく気取ろうとしているところである。普段とは違った格好をして、普段とは異なる話し方になろうとする。それがすごくその人の持ち味を殺している気がする。


 それに対してチック・コリアのクラシックはすごく普段どおりのものだったと思う。選曲も良かったのかもしれない(スクリャービンはその前に演奏されていたジャズとほとんど違和感がなかった)。過剰な強弱の差や不整脈のように動くルバートで歌いこんでいく、かと思うと音楽は急に弾みだし軽快になる――チック・コリアのピアノはそんな風に一貫性がない。でもそれは普段どおりの洒脱なしゃべり方だったと思う。少なくとも気の抜けた「Spain」よりはずっと聴きごたえがある。


 簡単に分けてしまうなら、ジャズ(即興)とクラシック(解釈)との話し方には、生成的か構築的か、という違いが見て取れる。しかし、間違った即興は存在しないし、正しい解釈も存在しない。逆もまたしかり、である。それをどのように「納得いく形で提示できるか?」に演奏家の質が決まるような気がする。この日のチック・コリアは即興的な解釈という中間部を見せてもらえた。たぶん、それも数ある納得できる形のうちのひとつだっただろう。





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