スキップしてメイン コンテンツに移動

後期ロマン派の楽器たち



 18世紀から20世紀前半の西洋音楽界の大きな流れには「拡大」という傾向が見られます。例えば、鍵盤楽器の音量の拡大。ピアノが開発されるまで主流だった鍵盤楽器、チェンバロ(ハープシコード、クラヴサン)の弦を弾く部分には鳥の羽の軸となっている部分が使用され、その音量は今のピアノとは比べ物にならないほど小さなものだったそうです。それがもっと大きな音量の出るピアノにとって変わられ、その後ピアノはどんどん大きな音が出るように改良が加えられていきました――ここには宮廷や屋敷といったパーソナルな空間で演奏される用の楽器が、コンサートホールというさらに大きな空間(市民的な公共空間)での演奏用に改造されるという「時代の要求」が読み取れます。


 拡大したのは音量だけではありません。オーケストラの規模も拡大していきます。奏者の数はベートーヴェンの時代からマーラーまでで倍以上になり、また仕様される楽器も増えていきました。驚かれることかもしれませんが、今ではとてもポピュラーな木管楽器であるクラリネットもオーケストラで使われ始めたのはモーツァルトの時代に入ってからです。どのような楽器が使用されるか、という事柄に関しては19世紀に入って大体決まってしまうのですが、そこで変化を止めないのが近代人の性。中には「こんな楽器を作って欲しい」と楽器製作者に開発させた人もいました。


 世界に存在する珍楽器愛好家の皆様、こんにちは。申し遅れましたが私、mkと申します。世界のどこにも存在しない妄想の博物館、珍楽器妄想博物館の館長を務めております。今回はそのような時代の変遷のなかでオーケストラのなかに加えられた珍しい楽器に焦点を当て、皆様の知的好奇心をくすぐっていこうと思います。


Wagner_tuba


 作曲家の要求によって開発された楽器の代表格と言えばこの「ワーグナー・チューバ」。名前の通り、リヒャルト・ワーグナーによって開発された金管楽器です。チューバと言えども、担当するのはホルン奏者(演奏中に持ち替える)。使用していたのはワーグナーだけではなく、むしろワーグナーの熱狂的信奉者であったブルックナーの方が使用していた作曲家として有名かもしれません。



D


 映像はブルックナーの交響曲第7番(演奏はクラウディオ・アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団)。2:45あたりから荘厳な響きを聴かせてくれますが、これは結構「玄人好みするタイプ」の音色であろうと思います。生、あるいは映像で見ないと「これがワーグナー・チューバの音色だ」と認識できる日は来ない……折角開発されたのにそういう悲しい運命を背負った楽器であるとも言えます。ちなみに、これ以降も取り立ててこの楽器がメジャーに取り扱われることはなく「特殊楽器」として認知されています。日本のアマチュア・オーケストラでは早稲田大学のオケが所有しており、他の団体がブルックナーなどを演奏する際に貸し出しが行われていたりするそう。「ワグチュー」と略して呼べば途端にあなたも玄人扱いされること請け合い。


heckelphon_big


 こちらの「ヘッケルフォン」も作曲家の要請によって開発された楽器です。これはリヒャルト・シュトラウスが現在も世界最高峰のファゴットを製造し続ける楽器工房「ヘッケル」に頼んで作らせた「ファゴットよりは小さく、イングリッシュ・ホルンよりは大きい」木管楽器。リヒャルト・シュトラウス以外に使用した人を私は知りませんが、現在でも製作されており日本の楽器屋さんでも普通に買えます(たぶん乗用車が新車で一台買えるぐらいの値段)。買っても何に使えば良いのか知りません。あとどんな音がするか、私もよくわかりません。


ヘッケルフォン


 ヘッケルフォンはこちらのサイトに詳細があります。リヒャルト・シュトラウス以外にもパウル・ヒンデミットがヘッケルフォンのための作品を書いているそうです。オーケストラで使用するほとんどの楽器のためにソナタ作品を書いたといわれるヒンデミットですが、ここまで来るともう意地としか思えません。



D


 珍しい楽器を使用したことではリヒャルト・シュトラウスと同時代の作曲家、グスタフ・マーラーも負けてはいません。こちらの動画は交響曲第6番第4楽章で使用される打楽器「ハンマー」。「もはや何でもありだな!」という感じがしますが、これを生で見れた幸運な方はやはり痺れてしまうでしょう。音自体はそこまで衝撃的ではありませんが、見た目のインパクトがすごすぎます。マーラーは他にも交響曲第7番でリュートやカウベルを使用しています。このカウベルも舞台裏であんまりオーケストラと関係なく鳴らされてるのでびっくりする。ちなみにリヒャルト・シュトラウスもカウベルを《アルプス交響曲》で使用しています。この曲は他にもウィンドマシン(風の音が出る)やサンダーマシン(雷の音が出る)など珍しいものがある。


404 Not Found


 《アルプス交響曲》で使用されている珍楽器はこちらでもまとめて紹介されています(ヘッケルフォンの音が聴けるサイトへのリンクも貼られている)。よく見たらこれ、知り合いが参加してるオケのサイトじゃないか……。



D


 今回はオットリーノ・レスピーギの交響詩《ローマの松》より「ジャニコロの松」でお別れ(演奏はアルトゥーロ・トスカニーニ/NBC交響楽団。この曲ではラストで「鳥の鳴き声が収録されたレコード」が用いられています)。当博物館では、皆様のまたのご来場を心待ちにしております。





コメント

  1. 館長様
    次はコダーイあたりでぜひ。

    返信削除
  2. 当博物館は楽器を主な展示物としておりますので、作曲家の企画展はおこなう予定はありません。ご了承ください。コダーイですと「変則チューニング」が思い浮かびますが、どのように取り扱って良いか悩みます。

    返信削除
  3. 館長。
    コダーイといえば、ツィンバロム(ハンガリー語でCimbalom)でいかがですかという提案でございます。

    「ハーリ・ヤーノシュ」です。

    返信削除
  4. 勉強になりました。実はあまりコダーイに明るくないのです。この作曲家といえば、私の地元にコダーイの名前を冠した合唱団がありましてCDデビューまでしていたことが思い出されます。

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

なぜ、クラシックのマナーだけが厳しいのか

  昨日書いたエントリ に「クラシック・コンサートのマナーは厳しすぎる。」というブクマコメントをいただいた。私はこれに「そうは思わない」という返信をした。コンサートで音楽を聴いているときに傍でガサゴソやられるのは、映画を見ているときに目の前を何度も素通りされるのと同じぐらい鑑賞する対象物からの集中を妨げるものだ(誰だってそんなの嫌でしょう)、と思ってそんなことも書いた。  「やっぱり厳しいか」と思い直したのは、それから5分ぐらい経ってからである。当然のようにジャズのライヴハウスではビール飲みながら音楽を聴いているのに、どうしてクラシックではそこまで厳格さを求めてしまうのだろう。自分の心が狭いのは分かっているけれど、その「当然の感覚」ってなんなのだろう――何故、クラシックだけ特別なのか。  これには第一に環境の問題があるように思う。とくに東京のクラシックのホールは大きすぎるのかもしれない。客席数で言えば、NHKホールが3000人超、東京文化会館が2300人超、サントリーホール、東京芸術劇場はどちらも2000人ぐらい。東京の郊外にあるパンテノン多摩でさえ、1400人を超える。どこも半分座席が埋まるだけで500人以上人が集まってしまう。これだけの多くの人が集まれば、いろんな人がくるのは当たり前である(人が多ければ多いほど、話は複雑である)。私を含む一部のハードコアなクラシック・ファンが、これら多くの人を相手に厳格なマナーの遵守を求めるのは確かに不等な気もする。だからと言って雑音が許されるものとは感じない、それだけに「泣き寝入りするしかないのか?」と思う。  もちろんクラシック音楽の音量も一つの要因だろう。クラシックは、PAを通して音を大きくしていないアコースティックな音楽である。オーケストラであっても、それほど音は大きく聴こえないのだ。リヒャルト・シュトラウスやマーラーといった大規模なオーケストラが咆哮するような作品でもない限り、客席での会話はひそひそ声であっても、周囲に聴こえてしまう。逆にライヴハウスではどこでも大概PAを通している音楽が演奏される(っていうのも不思議な話だけれど)。音はライヴが終わったら耳が遠くなるぐらい大きな音である。そんな音響のなかではビールを飲もうがおしゃべりしようがそこまで問題にはならない。  もう一つ、クラシック音楽の厳しさを生む原因にあげら...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」