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またPerfumeでトラバが飛んできやがった




哲学の負うべき課題は、現実のなかに隠されてすでに存在している意図を探りだすことではない。そうではなく意図なき現実を解釈することなのだ


 音楽と文学は、どちらも書かれたものである。それについては今更言うべきことでもないだろう。現に我々は今、文学のテキストを書かれたものとして日常的に読んでいるし、読める/読めないは別にしても五線譜上に配置された音符を目にしたことがあるはずだ。しかし、それらが同じ「エクリチュール(書かれたもの)」だったとしても、双方を比べてみるとだいぶ違う意味合いを含んでいるように思われる。

 「He war」。ジェイムズ・ジョイスによって書かれたこの文字は、「彼は戦争する(英語)」/「彼は(英語)存在する(ドイツ語)」という二つの意味で解釈され得る。しかし、その解釈するときに解釈者のなかに生じる意味は、書かれたものが元々保有していたものではない。このような意味の多様性(書かれたものが持つ、意味の複数性。そのような状態をデリダは散種と読んでいる)はそれが読まれた瞬間、パーロルとして解釈者の耳に届いた瞬間に生じる。「He war」の「war」は、英語なのか、それともドイツ語なのか。それらの音声的な意味のズレによって、単数的な「war」へと複数の意味が与えられる。

 このような関係を音楽のテキストである楽譜と比較してみよう。五線譜上に並べられたドとレの位置にある音符はどのような意味を持っているのか。そしてそれは文学のテキストのように散種され得るものなのか(続く……かも)



社会学講義
社会学講義
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 本日の一言はアドルノの講義録『社会学講義』より(たぶん。ページとか忘れました)。大嘘。これ『哲学のアクチュアリティー』という講演録からでした(1931年のもの)。邦訳は20年前の『現代思想』にのっています。




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