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『赤い河』(ハワード・ホークス監督作品)




赤い河 [DVD] FRT-124

赤い河 [DVD] FRT-124







 昨日観た『紳士は金髪がお好き』ともにこちらのDVDも本屋さんで500円。音楽でも同じことが言えるけれど今「クラシック」が安い。交換価値の原理が崩壊している、と言っても良いほどでこういう楽しさにハマッてしまったらなかなか「リアルタイム」へと戻れないのが(贅沢な)悩みである。ちなみに同じくハワード・ホークスの作品『三つ数えろ』も500円。参っちゃうよね、ホントに。


 主演はジョン・ウェイン。これまでに何本か彼の主演映画を観ているけれど「そこまでカッコ良かったんだろうか……この人って……」と思いながら観ていたのが、この映画では最初からすごくカッコ良くて痺れてしまった。愛する女を失い、何も無いところから牧場を成功させたカウボーイ(もちろん銃の名手である)を演じているのだけれども、これがものすごい厳しい人で絶対的な父権の象徴みたいなキャラクターであった。物語上ではジョン・ウェインがインディアンに家族を奪われた少年を「拾い」、息子のようにして育て上げている。単純に解釈をすれば「父と息子との」『オイディプス王』的な映画である。


 が、しかしこの映画においては父と息子の間で奪い合いがなされるような女性は存在しない(彼らは『牛』それから『プライド』を巡って闘うのである。映画に登場する牛の量がハンパでなく、悪夢的な量の牛の絵は圧巻!)。「父」が愛した女性はもう冒頭ですぐに物語上からフェイドアウトしてしまうし、「息子」にとっての母も同じように失われてしまっている。さらにこの映画2時間ちょっとあるんだけど、最初にちょっと女性がでてきてその後1時間半以上「男」しか描かれてないのね。


 だからこそ、後半になってやっと登場する「女」には特権的な力が与えられており、彼女によって大団円がもたらされるのがすごかった(また、この「女」の登場は「父」にとってかつて愛した女性の「復活」としても描かれている)。鼻が曲がるぐらいキツい男濃度のなかで、異常なほど女の価値が高められているような状況を感じてしまった。


 あとサウンドトラックには微妙なところでオンド・マルトノが使われている(たぶん。どうでも良いけど)。





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