ブルーノ・シュルツ『クレプシドラ・サナトリウム』(工藤幸雄訳)

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コスモス―他 (東欧の文学)
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 引き続き、『現代東欧文学全集』に収められたブルーノ・シュルツの『クレプシドラ・サナトリウム』を。こちらは、全13編あるうちの7編のみの翻訳となっているのだが、残りの6編がものすごく読みたくなるような素晴らしい短編群だった。ますます、早く平凡社ライブラリの「全集」を買わねば、と思う。


 全体の雰囲気や状況設定は、『肉桂色の店』のものを踏襲しており、「わたし」の目に映った奇妙な幻想を綴ったものとなっているのだが、表題作の「クレプシドラ・サナトリウム」という一編が特別に面白い。


 シュルツの作品では、「わたし」の「父」がとる狂気じみた行動がひとつの中心的な主題として描かれているのだが、この作品ではその父は既に死んでいる。しかし、「わたし」は死んだ父を、どこか遠い場所にあるサナトリウムへと送り出す。



「時間を後退させるわけです。一定期間だけ時間を遅らせる、それがどれぐらいと申しあげるわけにはいきませんが、要するに簡単な相対性理論の応用です。たとえば、あの方の死にしても、ここではまだ結果に到達していません、あなたのお国では、すでに片づいたことですけれども」



 死んだ父は、サナトリウムで蘇る。この短編は「わたし」がサナトリウムへと父の見舞いにいくところから始まる。外界から隔絶された環境にあるサナトリウムでは、異世界のような生活が繰り広げられている。延々に夜がやってこない代わりに、始終強烈な眠気に住民は教われねばならず、住民は一日のほとんどを睡眠に費やしている。本屋で本を注文すれば、何故か(しかし『わたし』がずっと手に入れたいと考えていた)望遠鏡が届く。


 「わたし」はサナトリウムの生活に馴染めず、次第にうんざりしはじめる。意を決して乗った帰りの電車は延々と走り続け、「わたし」は時の牢獄のような客室をさ迷い続ける亡霊と化す……。


 読み手も迷宮に引きずりこむような読後感は、フランツ・カフカの小説というよりも諸星大二郎の漫画に近いものがある気がする。特に不条理な世界観が自然に、穏やかに馴染んでしまっている心地よさにおいて。





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