アリストテレス―自然学・政治学 (岩波新書 黄版 21)posted with amazlet at 10.04.23山本 光雄
岩波書店
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昨年はプラトン強化期間として集中的にプラトンを読んだが、今年はプラトンの弟子であったアリストテレス強化期間を設けたい。その足がかりとして岩波新書の入門書を手に取った。自然学から論理学、倫理学、政治学と大変広範な領域をもっていたアリストテレスだが、この本はそのなかでも自然学と政治学についての紹介となる。本来はアリストテレスの全仕事を紹介するものであったらしいのだが、途中で著者が脳梗塞で倒れてしまい部分的なものに終わってしまったようである。
いわばこれは未完の仕事だったわけだが、それが惜しまれる良書だったと思う。前半の自然学は中世思想、ルネサンス思想を理解するための基盤を作るために良いし、後半の政治学はアレントの政治学の議論を思い出すきっかけとなって勉強になる。あと冒頭でアリストテレスの生涯も紹介されているのだが、彼がアレクサンドロス大王の先生だった頃に何を教えていたのか、については何も伝わっていない、というところが興味をひいた。誰かその歴史的空白を埋めるアリストテレス×アレクサンドロスのBLとか描けば良いのに。
世の中に存在するものは、なんらかの目的をもっており、その目的とはなんらかの形で「善」である。これをひとつのアリストテレス思想の根本として捉えると、自然学と倫理学、政治学のつながりが見えてくるように思える。アリストテレスは自然学において、モノの本質を分析しようとした。その本質のためにどのような変化や生成が起きているのか。四原因論に分けて彼が見極めようとしたのはこの点だ。モノの本質もまた善につながるにちがいない。ならばモノはどのように善とつながるのか。
一方、倫理学で問題となるのは「なぜ、すべての物事は善に向かうはずなのに、人間は過ちをおかしてしまうのか」という問いに答えるものであったと思う。倫理学と言えば「○○するのは良い/悪い」を決める道徳の一種のように思えるのだが、ちょっとここでは違っている。人を善への向かわせるにはどうすれば良いのか。ここで政治学が要請される。アリストテレスの政治学が倫理学の延長であったのは、こんな理由があるのだろう。「みんなが善に向かう理想の国家とはどんな国家なのだろう?」。アリストテレスは『政治学』という本の中で、理想国家を設計する。これは彼の師であったプラトンもおこなってした。
しかし、アリストテレスが設計したのは今日の視点で見れば超全体主義的な管理社会であったのに驚いた。そこでは国家が安定して良いものとなるために、結婚や出産をコントロールするための法が立てられる。生まれつきの障害を持つこどもは、育ててはいけないし、出生数が限度を超えたら堕胎が推奨される。セックスについての法もあり、育児についての法もある。そしてさらに驚くべきなのが、これらがみな「自由人」であるギリシャ市民のための法なのである。この国家のどこに自由があるのだろうか? と首をかしげるのは必須だ。
すべてが組織化され、永続的に運営される国家。それは消滅する国家よりも善である。私はここに強烈な印象を受けた。ファシズムやスターリニズム。これらは20世紀が生み出した最大級の悪と考えられているけれども、アリストテレスの時代からすでにその萌芽が存在していたのだ。未読のアレントの『全体主義の起原』を早く手に入れたくなってしまった。
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