スキップしてメイン コンテンツに移動

細川俊夫/フルート作品集




細川俊夫:フルート作品集

Naxos (2011-02-23)
売り上げランキング: 209184



 海外で活躍する日本人作曲家として近年では藤倉大に注目が集まっているけれど、細川俊夫は彼よりずっと前から海外で活躍し続けている日本人作曲家だ。ついこないだもベルリン・フィルによって彼の新曲が演奏された、というニュースが入ってきた。天下のベルリン・フィルから新曲を委嘱される、というのは大変名誉なことであるらしく、作曲家の喜びの声がNHKのニュースで紹介されていた。彼は現在、ドイツに活動の拠点をおいているけれど、以前から日本で定期的に現代音楽のワークショップなどを監督しており、日本の音楽シーンとのつながりも切れてはいない。こうした意味で細川を「海外と日本の音楽をつなぐ重要な作曲家」として認めることができるだろう。かつて武満徹がシーンを牽引していたときのような華やかさはないけれども、静かに重要なポストを務めている人物である。録音の数も多い。





 そんな彼のフルート作品集が先ごろ、NAXOSから発売された。かの「日本人作曲家選輯」シリーズの一枚として。このシリーズは、第一弾の橋本國彦に始まってこれまで日本の知られざる作曲家を発掘してきた名企画であるが、今回の細川俊夫の作品集がおそらくもっともコンテンポラリーなものではないだろうか。調性的《ではない》作品集としてもこのシリーズのなかでは異色に思える。





 そう、細川俊夫の音楽は調性的なものではない。心が和らぐようなメロディや、ダイナミックな和声の動きはなく、西村朗流に言うのであれば「誰も聴いて幸せにならない類の現代音楽」とさえ言えるかもしれない。この作品集に収録された曲も、フルートを中心に添えたものではあるけれど、フルートという楽器のもつ優雅なイメージからは程遠いものである。音数は多くなく、時に発声を伴う特殊奏法を駆使して演奏されるその音楽は、吹き荒ぶ冬の風のような厳しさをもって鳴る。水墨画のモノトーンの彩が、彫刻のごとく空間に刻まれている……視覚的なイメージを借りれば、そんな風に言えるかもしれない。水墨画の淡い印象が、くっきりと刻まれている、というどこまでも矛盾した表現だが、私には適切に思われる。





 西洋の聴衆はこうした音楽をどのように聴くのだろうか? という点が気になるが、私はこれを純日本的な音楽だ、という風に解釈する。ペンタトニックな音律(つまり、エキゾチックなものとしての《東洋》の理解)に頼らずに、これほど日本的な音楽を書く視点は稀有なものだ。邦楽的な本質が、見事に西洋的な音楽語法のなかに翻訳されている。音(1)と沈黙(0)との対峙というデジタルな分断が、どこまでもリニアに連続して響く。そうした音世界が細川俊夫の音楽には広がっている。フルート独奏は、アイスランドのコルベイン・ビャルナソン。彼はブライアン・ファーニホウのフルート作品全集を残しているそうだ。こうした実績を考えれば、現代音楽のエキスパート、なのだろう。ただ、この録音を聴いて驚くべきなのは、細川の音楽が見事に理解された《情景》だ。楽譜はこのようにも世界をつなぐシステムなのか、と改めて西洋音楽の発明の偉大さに感じいったりもする。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か