海外で活躍する日本人作曲家として近年では藤倉大に注目が集まっているけれど、細川俊夫は彼よりずっと前から海外で活躍し続けている日本人作曲家だ。ついこないだもベルリン・フィルによって彼の新曲が演奏された、というニュースが入ってきた。天下のベルリン・フィルから新曲を委嘱される、というのは大変名誉なことであるらしく、作曲家の喜びの声がNHKのニュースで紹介されていた。彼は現在、ドイツに活動の拠点をおいているけれど、以前から日本で定期的に現代音楽のワークショップなどを監督しており、日本の音楽シーンとのつながりも切れてはいない。こうした意味で細川を「海外と日本の音楽をつなぐ重要な作曲家」として認めることができるだろう。かつて武満徹がシーンを牽引していたときのような華やかさはないけれども、静かに重要なポストを務めている人物である。録音の数も多い。
そんな彼のフルート作品集が先ごろ、NAXOSから発売された。かの「日本人作曲家選輯」シリーズの一枚として。このシリーズは、第一弾の橋本國彦に始まってこれまで日本の知られざる作曲家を発掘してきた名企画であるが、今回の細川俊夫の作品集がおそらくもっともコンテンポラリーなものではないだろうか。調性的《ではない》作品集としてもこのシリーズのなかでは異色に思える。
そう、細川俊夫の音楽は調性的なものではない。心が和らぐようなメロディや、ダイナミックな和声の動きはなく、西村朗流に言うのであれば「誰も聴いて幸せにならない類の現代音楽」とさえ言えるかもしれない。この作品集に収録された曲も、フルートを中心に添えたものではあるけれど、フルートという楽器のもつ優雅なイメージからは程遠いものである。音数は多くなく、時に発声を伴う特殊奏法を駆使して演奏されるその音楽は、吹き荒ぶ冬の風のような厳しさをもって鳴る。水墨画のモノトーンの彩が、彫刻のごとく空間に刻まれている……視覚的なイメージを借りれば、そんな風に言えるかもしれない。水墨画の淡い印象が、くっきりと刻まれている、というどこまでも矛盾した表現だが、私には適切に思われる。
西洋の聴衆はこうした音楽をどのように聴くのだろうか? という点が気になるが、私はこれを純日本的な音楽だ、という風に解釈する。ペンタトニックな音律(つまり、エキゾチックなものとしての《東洋》の理解)に頼らずに、これほど日本的な音楽を書く視点は稀有なものだ。邦楽的な本質が、見事に西洋的な音楽語法のなかに翻訳されている。音(1)と沈黙(0)との対峙というデジタルな分断が、どこまでもリニアに連続して響く。そうした音世界が細川俊夫の音楽には広がっている。フルート独奏は、アイスランドのコルベイン・ビャルナソン。彼はブライアン・ファーニホウのフルート作品全集を残しているそうだ。こうした実績を考えれば、現代音楽のエキスパート、なのだろう。ただ、この録音を聴いて驚くべきなのは、細川の音楽が見事に理解された《情景》だ。楽譜はこのようにも世界をつなぐシステムなのか、と改めて西洋音楽の発明の偉大さに感じいったりもする。
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