村上春樹『村上春樹 雑文集』

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村上春樹 雑文集
村上春樹 雑文集
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村上春樹
新潮社
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 仕事がちょっと忙しい → ストレス発散で金を使いまくるなかでアホほど本を買う……というのをちょっと繰り返していたら積読が大変な量になってしまったため、しばらく本の買い控えをおこなっていたのだが、会社の本屋さんで見つけて抗いがたく購入。そして一気に読んでしまった。400ページ以上の大ボリュームのなかにさまざまな文章が収録されている。これまで彼のエッセイはかなり好んで読んでいたので特別目新しいものはない。しかし、リズミカルに読めてしまい退屈もない。(もしかしたらこのブログで同じことを何度も書いている可能性があるが)そうした読書感をもたらしてくれる書き手は稀有だ。





 読んでいて、それにしても村上春樹という人はストイックなのだな、という印象を新たにした。朝早く起きて仕事して、走って、早く寝る。村上春樹はこうしたリズムを繰り返し続けているそうだけれど、なにかほとんど鉄人とか修道士なみといって良いと気がする。スポーツ選手ならイチローもそんな感じ。そこには徹底した自己抑制がある。想像だけれども「自分は作家である」という自己規定が、倫理や責任を生み、こうして厳しい抑制をおこなえるのかもしれない。昨日『ノルウェイの森』の感想でも書いているけれど、抑制をおこなえるから作家になれた、のではなく、作家であるという規定があるから抑制がおこなえる、という逆説はどうも実際に存在する気がしている。性格の可塑性、というか。





 本の内容から大きく話がそれているので少し本の内容について触れておく。個人的に強く印象に残ったのは「『アンダーグラウンド』をめぐって」という章に収録されている「東京の地下のブラック・マジック」という文章だ。軽い文章が多く載せられている本書のなかで、この章は幾分シリアスな雰囲気になっている。「東京の地下のブラック・マジック」は海外の『アンダーグラウンド』の読者のために書かれた紹介文のようなものだが、戦後の日本の発展と(破綻と混乱を伴った)転換における社会分析、あるいはメンタリティの分析のようにも読める。1995年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件、このふたつの事件は私個人としても強く記憶に焼きついているし、とくにオウム真理教という宗教団体の存在は年をとればとるほど、自分に影響を与えたものとして振り返られる気がする(おそらくああした異質な集団が同じ社会に存在しており、また、そうした集団のマスメディアへの取り上げられ方を目撃していなかったなら、社会学に興味を持つことはなかったんじゃないか、などと)。





  1. 我々は結局のところ、不安定で暴力的な地面の上に生きているのだ。

  2. 我々の社会システムにはどうやら、何か間違ったところがあるらしい。



 村上春樹は、震災が日本国民に与えた「陰鬱な認識」として以上のふたつをあげている。2については異論がなくはない――社会が歪んでいる、社会がおかしい、なんてテレビの街頭インタビューに答えるサラリーマンでも常々考えていそうだし、それは1995年以前も以下も変わらない気がする。とはいえ「社会が間違っている」と声高に、ヒステリックに、神経質に叫ぶ声が高まりすぎていて、その声のボリュームが一層歪みを感じさせるけれども、それはさておき、1は優れた一文だ。普段生活していても、私は不意に地面がひっくりかえるような事件が自分の見に降りかかるのではないか、という不安を感じることがある。地震が恐いというだけじゃなくて、例えば、一人で夜道を歩いていて、知らない人に後ろからナイフで刺されたりするんじゃないか(誰でも良かったので殺されちゃうんじゃないか!)とか。そういうオブセッションを抱きながら生活している。それは、もしかしたらそれまでの日本が安全過ぎたから、かもしれない。「安全神話」とかよく聞くけども(こうした呼称は安全が失われたから生み出されたものだろうと思うけど)、それを字義通りに受け取って、安全を聖なるものに据えてみると、それが穢されているんだから何らかの生贄は捧げられる必要はある……のか? そうしてアマゾンの少数民族みたいにして安全の聖性が回復するのであれば救われる話なのだがそうではない――なんてことを考えさせられた。





2 件のコメント :

  1. >オウム真理教は自分に影響を与えた

    自分もそうです。東京出身の知人はオウムに何の感慨も持たなかったらしいので、地理的な距離が近いことは、かならずしも感情的に深刻な影響を受けることを意味しないのだろう。むしろ地理的に遠い方が、出来事を俯瞰的に捉える視点を与えてくれるのかもしれない。地震の場合は、身体に直に作用する体験に基づいているので、また別かもしれないけれど。

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  2. >地理的に
    単に個人の感受性の違いのような気もしますが。事件当時小学生だったんですけれど、クラスメイトにはオウムをただあざ笑うだけのコもいました。私はそういうのに違和感を感じていました。

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