トラン・アン・ユン監督作品『ノルウェイの森』

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 観る前に否定的な感想をいくつか目にしてたんですが、私は大変面白く観ました。もちろんそれは原作をすでに読んでいて(しかもかなり熱心に)受け手の準備が万全に整っていた、という状態のせいもあるかもしれません。たぶん原作を読まずに観にいっていたなら「ポカーン(そして菊地凛子のメタリックな肌色に畏怖)」みたいな感じだったと思います。原作つきの映画にはいくつかパターンがあるでしょう。この映画は「原作の再現」のパターンではなく「解釈付きの映画化」のパターンだったと思います。それはひとつの翻訳に近いものです。最近読んだ『翻訳夜話』で、村上春樹は「自分の小説に対する評価には興味がないが、自分の小説が翻訳されたものを読むのは面白い」といった話をしていたような気がします。外国人の監督にこの作品の映画化が許されたのはそうした原作者の感覚が由来しているのかもしれません。そして、この外国人による解釈は、私としては新鮮に思えましたし、とてもよくできていると思った。



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 翻訳的な解釈(解釈的な翻訳)なのですから、あのシーンがない、このシーンがない、とあれこれ難癖つけるのはちょっと無粋な気がします。むしろ、あのシーンが落とされた、このシーンが削られた、ということに自分とは違う読みの可能性を感じ、許容するべきではないでしょうか。いえ、私も個人的な思い入れがある作品ですし、納得いかない! という声があがるのも理解できるのですが、そういった方は原作の完全再現を望んでおられたのでしょうか。でも、映画と小説では言葉が違うんですから「完全な再現」なんか無理ですよね。





 映画を観ながら考えていたのは「欠如したもの」と「欠如を満たすもの」の関係についてです。映画のなかでワタナベは、ずっと「欠如を満たすもの」として存在していたように思われました。誰かの欠如を埋めるべく、何かを与えるもの、として。つねに彼の前には何かが欠如した人間がいます。ちょうどこの人間関係は、凸凹のような感じで成り立っている。普通の考えれけば、こうした関係は「持ちつ持たれつ」といった風に上手くいきそうに思えるのですが、そうではない。彼は一生懸命与えようとするし、彼に与えられる側の人間も彼の意思をありがたいものだ、と言う風に受け取っている……にも関わらず、欠如は埋められることがない。凹凸の関係はうまくいかず、むしろ、欠如した人間は欠如した人間同士(凹凹)でその欠如をやり過ごそうとする。直子とレイコさんの関係はそんな風に思えました。ワタナベの甲斐甲斐しい思いは伝わるんだけれど、成功しない。こうした関係は悲劇的とも思えるのですが、しかし、現実にあるだろう、とも思います。





 で、当然ワタナベは悶々とするわけですが、だからと言って諦めたりはしないのです。むしろ、それまで場当たり的に女の子と寝たりするのを辞め、より一層強烈な自制をおこなっていく。映画のなかではワタナベのストイシズムへの傾斜は、ハツミさんに説教される(いやー、このシーン良かったですねえ)という契機によって強調されていた気もします。緑に求められつつもどうすることもできず、ただどうしようもない問題として彼女の求めを断るシーンで感じたのは、ワタナベが直子に対して何かを与えようとするものとして自己を規定するような強い意志でした。直子を癒すこと。これが彼のなかで責任に変わっていく。果たしてそれは単純に愛と呼べるものだったのかどうか。結局のところ、彼は責任を果たすことができずに直子との関係を終えることになるのですが、その後にやってきた悲しみはむしろ、責任を果たせなかった自戒のような苦しみに近かったのではないか。直子を失ったワタナベは、荒れた海の前にしてただ叫ぶことしかできない。彼が張り上げた声はきっと喉を痛めつけるような声量だったに違いありません。痛みを伴った叫びは、悲しみの表出だけではなく、自傷的な意味合いがあったように思えました。





 その後、レイコさんとの儀式的なセックス(これはワタナベが最後に与えるものとして役割を果たすシーンとなっています)を経て、彼はようやく新しくやりなおしはじめます。そこではもはや彼は「与えるだけの人間」ではない。むしろ「求める人間」として生まれ変わっている。なんかこの時、ワタナベの顔には傷がついているのですが、イーストウッドの映画みたいな見方をすれば「聖痕」として読み取れば良いのでしょうか。緑も傷ついた人間として登場しましたし(そしてワタナベに自分の欠如を埋めて欲しい、と願ってきたものでもありました)、傷ついたもの同士で新しい関係を作り出そう……というところで話は終わります。直子がダメだったから、緑にいった、という終わり方ではなく、むしろ最初から直子との関係は不健全なものだったが、直子を喪失し、傷つくことによって、ワタナベは緑とフェアな関係をはじめることができた、という風に読むべきなのかもしれません。





 それにしても爆音でCANが流れたときはビックリしましたね。この映画の話の時代に、日本でCANなんか絶対流行ってないだろ! とか思ったのですが、あの独特なサイケ感と暗さは映画の雰囲気に絶妙にマッチしていると思いましたし、私のこれまでの生涯であんな高音質かつ爆音でマルコム・ムーニーやらダモ鈴木のヴォーカルを聴いたことがなかったもんで痺れました。しかし、ジョニー・グリーンウッドのサントラは、うーん……不自然さはなかったですが、ジョニー・グリーンウッドである必然性を感じない、という感じ(あんなインチキ新ヴィーン楽派みたいな音楽、ありふれているように思えましたし、褒められすぎです)。あと細野晴臣と高橋幸宏にはめちゃくちゃ笑った。



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