音質と印象 メロディヤに残されたショスタコーヴィチの作品の録音を聴いて思ったことなど

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ショスタコーヴィチ:交響曲全集
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 ツオロバルニク(エフゲーニャ) アカデミー・ロシア共和国合唱団 アカデミー・ロシア共和国合唱団男声合唱団 ネステレンコ(エフゲニー) エイゼン(アルトゥール)
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 ショスタコーヴィチの交響曲といえばエフゲニー・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの演奏の聴いておけば間違いない、というのが定説であるが、ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチのすべての交響曲を演奏しておらず、そのため全集録音も残っていない(ムラヴィンスキーは、ショスタコーヴィチが晩年に書いた合唱付きの交響曲を演奏しなかった)。このため「ソ連が存続していた時代であり、ショスタコーヴィチがリアルタイムに生きていた20世紀に残された交響曲全集」を選ぶとするならば、キリル・コンドラシン/モスクワ・フィルによる世界初の全集を選ぶほかない。ただ、そうした記念碑的な全集がひとつの決定盤として残っていることは幸いだろう。





 この録音は多くが60年代半ばから、70年代半ばに収録されたもので、当時の国営レコード会社であったメロディヤによって制作されている。メロディヤはソヴィエト連邦の音楽文化を世界に向けて発信するひとつの窓口であったはずだ。しかし、このメロディヤ録音は、音質の悪さで定評がある。同じ時期の西側諸国のレコード会社が録音した音源と聴き比べたらメロディヤの技術力のほどがすぐに理解できるだろう。現代のリマスタリング技術によってもマスターの質の低さは補いきれない。痩せた中低音と、強音部での音割れは「貧しい印象」を聴き手に与えるだろう。





 しかし、それがメロディヤの音なのであり、特徴であり、個性なのだ、という声もあるだろう。かく言う私もそうなのだから。この音の貧しさが、ソヴィエト連邦を代表する作曲家であったショスタコーヴィチの印象をかなりの程度支配していると言っても良い。この痩せた音によって、ショスタコーヴィチの諧謔はより一層際立ち、音割れは戦地のような荒々しさを印象付ける。ムラヴィンスキーやコンドラシンによるショスタコーヴィチの録音がもし、60年代のEMIの木管楽器のまろやかな音色を強調したような音質で記録されていたならば、この音楽の印象はまるで違ったものになっただろう。





 弦楽器がキンキンと張りつめたように鳴り、金管楽器の強奏が荒々しく咆哮する。レニングラード・フィルやモスクワ・フィルの「鋼鉄的印象」とは「鉄のカーテン」から連想ゲーム的に導き出されるばかりではない。音の貧しさが魔術的に生み出した異様な光景なのだ。





10 件のコメント :

  1. いつも遅コメでごめんさい。「音質と印象」読んで何度頷いたか。この文章を原音追求とか究極のオーディオとか
    書いている連中に読ませてあげたいですね。

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  2. 解かります。クリムゾンの『アースバウンド』(名盤!!30年近く聞いてないですが)程ではないですが、ワルターとウィーンのマーラー第9番(1938)なども録音の悪さに、かなり印象が変質しているように思います。
    (むしろフラスに働いている、あの音質でなっかたら、凄絶な演奏!等の評論も出て来なかったかもしれません。演奏スタイルは極めてモダンです)オーディオ・マニアの方がたが、解釈行為であるかどうかは、
    疑問が残ります。彼らは、在りもしない(ボクは無いと思います)原音や真実の音に囚れているだけだと思います。(ボクの周りのオーディオ・マニアが悪いのかな)

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  3. コメントありがとうございます。fuku_2008さんがおっしゃるとおり「原音」や「真実の音」を「生音」と理解していいのであれば、「ありもしないもの」といえるでしょう。まず、スピーカー・システムで生の音を再現することは不可能ですし、今の録音は生音と違うように作ってありますよね。私が「解釈行為」と呼んだのは、そのありもしないものを追求する、というのが(前述したとおり)「演奏行為」と似ているからです。演奏には「楽譜通りに演奏した正しい演奏」はありますけれど「正しい解釈」というのは存在しませんよね。書かれた楽譜が喋ったり、カラオケの採点システムみたいに点数を出してくれるなら話は単純だったのかもしれませんが、そうではありません。ですが、演奏家はそうしたありもしない「正しい解釈」を追求しています。いや、知り合いに演奏家がいて直接聞いたわけではないので想像ですけれども、すくなくともそれはその演奏家にとって「正しい解釈」だとは言えるでしょう(正しい解釈なんかないんだから好き勝手やるよ、俺は、という人もいるかもしれません)。そうしたありもしないものを追求する、というのは私にはロマンティックなものに思えます。だから否定はできません。周りに正確の悪いマニアがいれば、否定しちゃうかもしれませんけれどね笑 いや、マニアというものは概して性質の悪いものです。ブルックナーとかマーラーとかショスタコのオタクの人って、やっぱりちょっと変わった方が多いですし……。

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  4. こちらこそコメントありがとうございます。「演奏行為」者が追い求めているのが「正しい解釈」。それは、時間・空間超え、作曲者の身体と同一化するというファンタスム。オーディオ・マニアもその相似形のファンタスム
    (演奏者の身体と同一化する?)共有している、と。そしてそれらは不可能性ゆえロマンティックな行為である、と書き換えてもよろしいですか?   性質の悪い(笑)fukuより

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  5. コメントありがとうございます。そうした理解でかまいません。しかし、作曲者の身体や意図を離れたところに、解釈が正しく存在しえる余地みたいなものがあると思うのですね。ピリオド楽器によるベートーヴェンと、モダン楽器によるベートーヴェンは違うけれど、どちらにも正しい解釈みたいな演奏があるわけです。それと同じくオーディオにも、原音から離れた正しい音が存在する余地があるように思います。

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  6. それでは後日、少しまとまった話を書きたいと思います。しばらく気長にお待ちください。

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  7. キリル・コンドラシン/モスクワ・フィルによるショスタコーヴィチの交響曲全曲録音は、韓国AULOS、ロシアVenezia、ロシア新生Melodiyaから出ているものが入手可能ですが、もとは同じ音源と思います。
    韓国AULOS盤を持っているのですが第4番が少々聴きにくく感じており、もしロシアVenezia、ロシア新生Melodiyaのどちらかがより聴きやすいのであれば入手したいと思っています。
    ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただければ幸いです。

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  8. コメントありがとうございます。私が持っているのもAulos盤です(2004年に再発されたモノですね)。Aulos盤によってこの全集が復活するまでは、BMG JAPANが独自にリマスタリングしたCDが評判が良かったですね(私が手に入れようとした頃には絶賛廃盤中で実際にまだ確認はできていません。中古市場にもめったに出てこないものだと思います)。Veneziaは、とくにリマスタリングなどはおこなわれていないそうです。Melodiya盤はすみません、出ているのを知りませんでした。4番が録音されたのは1962年でこの全集のなかでも一番古いものになります。マスターがダメではリマスタリングをおこなっても限界がありますから、これは仕様がない部分があります。良い音質で聴きたいのであれば、ラトル/バーミンガム市響の演奏はアグレッシヴで良い演奏ですよ。

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  9. コメントありがとうございます。いわゆるオーディオ・マニアを否定するつもりはありません(ああして自分の理想の音を追求する、という行為はひとつの解釈行為であり、演奏行為に近いものがあると思います)。私が言いたかったのは、あのメロディヤの荒れた音に、私のショスタコーヴィチ感はかなり引っ張られている、ということだけです。ただ、私がショスタコーヴィチにハマるきっかけとなったのは、メロディヤ録音ではなくアルトゥスから出ていた73年のムラヴィンスキー来日ライヴでの交響曲第五番の演奏だったんですけれど(あれもあまり褒められたような音質ではないです)。キング・クリムゾンの『アースバウンド』も似たような現象を引き起こしている、と思います。

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  10. Geheimagent様、早朝からお付き合い願いましてありがとうございます。「作曲者の身体や意図を離れたところに、解釈が正しく存在する」、「原音から離れた正しい音が存在する」。
    しかし、ボクは「正しい」という言葉に、過敏に反応してしまいます。そのひとつの答えが、昨晩のエントリーなのでしょうが、もう少し具体的に「もうひとつの正しい」解釈」の場所を、
    お聞かせくだされば、幸いです。

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