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ヒトラーがお気に入りの建築家、アルベルト・シュペーアと組んで首都ベルリンを「世界の首都」として誇るべき都市に改造しようとしたのと同様に、ムッソリーニもまたイタリア各地に自らの意見を設計に取り組んだ建築物を作り、また都市の開発をおこなっていた。ファシズムのイデオロギーを国民に照射するための装置として、それらの建築物は機能する。その機能をさらに高め、建物から放たれる威光を自らに紐づけるために、ムッソリーニはイタリア全国を巡り、建築現場を視察したり、落成式や起工式に出席したというエピソードは興味深い。「全体主義」は、国民全員が全体に統一されようとするイデオロギーだが、ムッソリーニは国民全体が自らの意志に統一するために建築に取り組んでいたのだ。
建築は、ムッソリーニの威光を高める舞台としても作られる。表紙にも使われている船主上の演説台はわかりやすい例だろう。ここでは古代ローマの鷹の紋章も用いられているが、彼はイタリアが誇るべき建築美を古典主義に求めている。しかし、ムッソリーニは当初から古典主義を賞揚していたわけではなかった。むしろ、当初は機能主義・モダニズムにも理解を示していた。彼が古典主義 = ファシズム様式とし始めるのには、ヒトラー・シュペーアによるナチズム建築との競争が大きく関与している。ふたりの独裁者が「どちらが世界一の都市を造るのか」を競い合っていたという事実はとても面白く読めた。
しかし、ヒトラーにはシュペーアという専属建築家がいたのに対して、ムッソリーニにはそうした存在が希薄だったそうである。懇意にしていた建築家の存在は複数確認できる。建築家をひとりに絞らないことによって、建築計画の最終決定をする自らの権限をなおさら強めようとしたムッソリーニの戦略はとても巧妙に思えた。しかし、だ。なんでもかんでも自分で決定しようとし、自らを一流の建築家のように思い込み、自らの判断が常に最良の者だと信じてやまないムッソリーニの働きぶりは「独裁者」の型にハマりすぎ、いささか滑稽にも思える。こういう上司、いるよね、と思ったし、それについていく側近や建築家たちの大変さをリアルに想像してしまうのだった。
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