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ルイジ・バルツィーニ 『大陸横断ラリー in 1907: 北京〜パリ 限界を超えた1万マイル』

大陸横断ラリー in 1907―北京~パリ 限界を越えた1万マイル
ルイジ バルツィーニ
マール社
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ロード・ムービーのように各地を巡り、秘密結社やらシャンバラ帝国やらがでてくる奇想天外な小説、つまりトマス・ピンチョン的な話をいつか書きたいな、と思っていた。1907年に北京からパリという途轍もない自動車レースが開催されたことを知った瞬間に、これこそ自分が書きたいと思っていた題材じゃないか、と閃いた。

北京から、どのルートを選択しても、どんな手段を使ってもとにかく早くパリに到達した者が優勝というバーリトゥードなレースで勝利の栄冠を手にしたのはゴビ砂漠を抜け、シベリア鉄道の線路上を走り抜けたイタリアの貴族、ボルゲーゼ公爵だった。彼らの軌跡に、ロシアの無政府主義者やシャンバラ帝国の秘密を守る騎馬民族、あるいは義和団やイエズス会なんかが無数にでてきてややこしい陰謀が絡んできたらきっと楽しいだろう……と思って優勝チームの車に同乗し取材にあたっていた記者、バルツィーニの本を読んだ。

これがとんでもなく面白い本で、ピンチョン的な脚色なんか不要なぐらい素晴らしいドキュメントなのだった。ボルゲーゼ公爵(ボルゲーゼ家はボルゲーゼ美術館で有名な『あの』ボルゲーゼ家。教皇パウルス5世を輩出した名家だ)の冒険心と冷静沈着な強いリーダー・シップと、優秀なメカニック兼ドライバー、エットーレのキャラクターは『ドン・キホーテ』に匹敵するナイスな組み合わせで、彼らがさまざまな困難を乗り越えていく光景が緻密に描かれている。

「大陸横断ラリー」というと自動車が砂煙をあげて荒野を爆走していく様子を想像してしまうが、当時の自動車はそこまでパワフルなものではない(優勝チームの車は、それでも最高時速は95km/h、道が良ければ60km/hぐらいで長時間走行できた)。シベリアの大地は雨が降るとぬかるみがひどく何度も泥にはまって走行できなくなったり、山越えする際は馬や大勢の苦力に引っ張られなくてはならなかった。悪路が続くあいだはレースというよりは、本当に難儀する旅という感じである。

イタリア・チームの車が35〜45馬力、これに対してライバル・チームの車はその半分以下のパワーしかない車だった(その代わり車両の重さはずっと軽い)。このレースはオフロードを進むには、重量級の車が良いのか、軽量級の車が良いのか、という闘いでもあり、結果として重量級が圧倒的な勝利を収めた結果となっていた。

こうしたレースの様子ばかりがこの本の魅力ではない。むしろ、中継地点で出会う各地の人々の描写が素晴らしいのだった。清人やモンゴル人、シベリアに住む農民たち、実にさまざまな人々が本書には登場するが、モンゴルの平原で出会う正確なドイツ語を話す青年だとか、独学で学んだラテン語で話しかけてくるシベリアの職人だとか、驚くべき人物もでてきて楽しい。これは20世紀初頭の「辺境の人々」のドキュメントでもあるのだ。シベリアの農民が初めて出会ったイタリア人と自動車を見て「日本人のスパイ」と勘違いした、というエピソードなど思わずニコニコしてしまう。

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