増田四郎 『都市』

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都市 (ちくま学芸文庫)
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増田 四郎
筑摩書房
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都市の建築史の本かと思って手に取ったのだが、全然違っていた。なにかというと都市の形成史であり、西洋でどのように「市民意識」が形成されていったのか(そしていかにして日本では『市民意識』が育たなかったか)を辿る本。結構古い本だし、著者の専門はヨーロッパ経済史だったせいか思想史・文化史的な描写はペラいが(なんというか西洋の思想が一枚岩のキリスト教文化になっている感じがある)、ホモ・エコノミクス的人間観にもとづく歴史描写はなかなか面白い。

著者によれば近代都市の形成と近代の市民意識の形成は、不可分であり、同時平行で進行している。つまりは商業や工業で成功したブルジョワジーによって都市は発展し、また近代市民意識は旧来的な特権階級にアゲインストするブルジョワジーたちの同族意識・共闘意識が基礎となる。ブルジョワジーたちは、やがてプロレタリアートから闘争をふっかけられる立場になり、市民意識にも変化が発生するわけだが、要するに西洋の市民意識とは、そうした階級闘争のなかから生まれてきた仲間意識、と説明される。

これに対して日本だとか東洋だとかは、全然市民意識がないからダメだ、都市も未熟だ、と著者は言う。日本の近代の始まりだって、貧乏していたサムライたちが起こした革命でしょ、農民たちが一念発起して起きたわけじゃないし、要は階級の上のほうが別な人にすげ変わっただけ。日本の市民なんていうものは「はい、あなた方は今日から『市民』なんですよ」と言われて始まっているわけだから、てんで身勝手でどうしようもない、とのことである。「自分たちのコミュニティを良くしよう」という意識も全くないし、一貫した善悪の観念もない。いい加減だ。

読んでいて、あー、昔の人の西洋コンプレックスの発露か……と思わなくもないのだが、まあ、思い当たる節はある。日本で「市民」とか「公共」とかいう概念が持ち出されるときって、人によってすごくいい加減で、結局のところ「自分は正しいんです!」と主張するときに「いや一般的に考えたらさ……」とか「公共の場ではさ……」とか都合良く持ち出されるだけのような気がするんだよな。

個人のあいだでつながりがないわけじゃないけれども、めいめいの快/不快で繋がるだけでしかない。「アレが(アイツが)不愉快だから、不愉快なモノ同士で一緒に叩いてやろう」とか、そんな感じで(そういうつながり方って、インターネット上でも露骨に現れてるときがありますよね)。昔の日本は近所付き合いがあって良かった……とか『三丁目の夕日』のような人々のふれあいが……とか言う「昔は良かった」論っていまだに見ますけど、全然良くなかったじゃん! とも思う。

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