スキップしてメイン コンテンツに移動

安丸良夫 『神々の明治維新: 神仏分離と廃仏毀釈』

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)
安丸 良夫
岩波書店
売り上げランキング: 55,873
昨年読んだ五十嵐太郎の『新宗教と巨大建築』をきっかけに明治維新における宗教政策に興味をもった。「廃仏毀釈」という言葉は、中学生ぐらいで必ず習っていると思うけれど、本書はその一連の流れをまとめたもの。古い本だけれども、大変面白く読んだ。当時、仏教が排撃されたばかりでなく、由来がよくわからない怪しげな神様もまた排除の対象となっていたことをわたしは本書で初めて知った。お寺が打ち壊されるばかりでなく、由緒正しくない神様を祀っていた神社も「あんたのところもちゃんとした神様を祀りなさいよ」と取り締まられ、改名を余儀なくされたりしたそうである。

神様の由緒正しさ/正しくなさを判定は、水戸学や国学から発展した国体神学によってなされた。『古事記』に載ってる神々みたいなのをお参りしないと、ダメですよ、と(その他、国に貢献した人たちなどを祀らないと、祟られますよ、とか言っている。靖国神社の元になった東京招魂社もそういう議論から建てられたものだ)。廃仏毀釈や神仏分離といった政策に、神道で国民全員一致団結しようぜ! 的な意味合いがあったことは分かるけれど、こうした神々の整備のプロセスを知ると、中央集権的な国民精神の統合よりも「なんか日本人の精神性ってバラバラすぎねえ?」という危惧から生まれた標準化の面に目がいってしまう。

もちろん、そうした日本人の精神の標準化には抵抗勢力があって、お坊さんが「村一体を丸焼きにしてやる!」と息巻いてたり、「俺らはスピリチュアルな存在に守られるから絶対死なない(銃弾とか当たらないから!)」と信じて特攻し、当然のごとく逮捕……死傷者を出す事件に……などテロリズムに走った人たちもなかには存在していたらしい。明治政府は、土着のものを改める難しさに直面していた。しかし、ここで行われた精神の改革、習俗の変更は今にも多く残っているわけで、政策はかなりの面で成功していた、とも言える。

あまり大きくページを割いているわけではないけれど、本書を読んでいて、明治天皇という人物にも興味が湧いた。新たなカリスマとして担ぎだされ、新しい国家の頂点に相応しいキャラクターとして教育された……わけだけれども、そういう思惑に、バッチリと適応してしまった明治天皇がすごいんじゃないの、と。

コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

土井善晴 『おいしいもののまわり』

おいしいもののまわり posted with amazlet at 16.02.28 土井 善晴 グラフィック社 売り上げランキング: 8,222 Amazon.co.jpで詳細を見る NHKの料理番組でお馴染みの料理研究家、土井善晴による随筆を読む。調理方法や食材だけでなく食器や料理道具など、日本人の食全般について綴ったものなのだが、素晴らしい本だった。食を通じて、生活や社会への反省を促すような内容である。テレビでのあの物腰おだやかで、優しい土井先生の雰囲気とは違った、厳しいことも書かれている。土井先生が料理において感覚や感性を重要視していることが特に印象的だ。 例えば調理法にしても今や様々なレシピがインターネットや本を通じて簡単に手に入り、文字化・情報化・数値化・標準化されている。それらの情報に従えば、そこそこの料理ができあがる。それはとても便利な世の中ではあるけれど、その情報に従うだけでいれば(自分で見たり、聞いたり、感じたりしなくなってしまうから)感覚が鈍ってしまうことに注意しなさい、と土井先生は書いている。これは 尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』 の内容と重なる部分があると思った。 本書における、日本の伝統が忘れらさられようとしているという危惧と、日本の伝統は素晴らしいという賛辞について、わたしは一概には賛成できない部分があるけれど(ここで取り上げられている「日本人の伝統」は、日本人が単一の民族によって成り立っている、という幻想に寄りかかっている)多くの人に読んでほしい一冊だ。 とにかく至言が満載なのだ。個人的なハイライトは「おひつご飯のおいしさ考」という章。ここでは、なぜ電子ジャーには保温機能がついているのか、を問うなかで日本人が持っている「炊き立て神話」を批判的に捉え 「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」 という提案がされている。これを読んでわたしは電撃に打たれたかのような気分になった。たしかに冷めていても美味しいご飯はある。電子ジャーのなかで保温されているご飯の自明性に疑問を投げかけることは、食をめぐる哲学的な問いのように思える。

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」