《折重なり》から見えるリゲティ

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 先日、雨がぽつぽつと降るなかをジェルジ・リゲティの《アトモスフェール》を聴きながら歩いていたことがありました。薄暗い雲が空を覆い、光が差さない街を歩くときのBGMとして、スタンリー・キューブリックの映画に使用された大規模なトーン・クラスター作品を選択するというのは、何よりもまして軽い憂鬱を演出してくれます。これと同様に雨の日に聞きたい音楽と言えば、フランクのヴァイオリン・ソナタ(演奏はジャック・ティボーとアルフレッド・コルトーのもの)ぐらいのものでしょう。

 2006年、6月。ドイツでサッカーW杯が開催されていた頃に、ハンガリー出身のこの作曲家は亡くなりました。ちょうど日本がオーストラリアに敗戦した日の朝にそのニュースを聞き、衝撃を受けたことを覚えています。ストラヴィンスキーといいマイルス・デイヴィスといい現代の先進的な音楽家というものは時間とともにカメレオンのようにそのスタイルを変えていく人たちが多いような気がします。それが「現代性(あるいは近代性)」を背負った音楽家の宿命なのかもしれませんが、リゲティもまたそのようにスタイルを変化させていった作曲家の一人だと言えましょう。



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 リゲティは共産主義体制が敷かれていた頃のハンガリーで教育を受けています。当時、ハンガリーでは西側諸国で既にある程度の地位を確立していた「12音音楽」などの手法は全面的に禁止。故に、リゲティの作曲活動も制限を加えられたものでした。この頃、書かれたものとしては学生時代に書いたという《無伴奏チェロ・ソナタ》が素晴らしい。これはゾルタン・コダーイの作品を彷彿とさせる美しい作品です(当時の恋人に捧げた作品、というエピソードも含めて)。これらの時期の作品には「社会主義リアリズム」の規範に則ったものかもしれませんが、魅力的なものが多く存在しています。

 1956年にハンガリー動乱が起こると同時に西側へと亡命してから、よく知られている「リゲティ」の姿が登場します。前述の《アトモスフェール》などはこの時期の作品。微分音を細かく重ねていき、巨大な音の塊を創出する「トーン・クラスター」という新しい技法を用いて、前衛作曲家としてめきめきと頭角を現していきます。最もリゲティがアナーキーだったのはこの頃だったと言えるかもしれません。



The Ligeti Project, Vol. 1
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 その後、60年代の半ばごろからリゲティは「ミクロ・ポリフォニー」という新しい手法を提唱していきます。それまで用いていたトーン・クラスターを排し、調性の上に乗せた小さな音の要素(フレーズ的なもの)を重ね合わせていくことによって新しい音のテクスチュアを生み出す、というのがこの手法のミソとなる部分だったようです。「折り重ねる」という点に関して以前のトーン・クラスターの延長線上にあるように思われるのですが、トーン・クラスターが持続的な音を重ねていくことによってテクスチュアを「生成」するようなものだったのに対して、ミクロ・ポリフォニーでは段階的な差異を積み上げるようにして音を「構築」するような印象。《室内交響曲》がこの時期の代表曲でしょうか。



Ligeti;Edition Vol.3
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 1980年代に入ると今度は自らの「ミクロ・ポリフォニー」の看板も取り下げて、ポリリズミックな音楽の探求へと向かっていきます。アフリカの音楽からの影響もあったそうですが、この頃、リゲティの音楽は劇的にポップなもの、というよりも「クラシカルなもの」となり、「前衛の行き詰まり」から逃走するような作品があります。2巻まで書かれた《ピアノ練習曲集》は、そういった態度の現れが結晶化したものでしょう。時折、ドビュッシーのようにも聴こえる美しいこの作品群は20世紀に書かれた最も素晴らしいピアノ作品のひとつとしてブーレーズのピアノ・ソナタ第二番やメシアンの《嬰児イエスに捧ぐ20のまなざし》とともに音楽史に名を刻むことでしょう(たぶん)。

 長いエントリになってしまいました。そもそも、なんでこんなことを書こうと思ったかというと「リゲティは4人いる!」というフレーズを思いついたことがはじまり。時期によって全く異なった様相を見せるリゲティという作曲家を、そのように分裂的に捉えることは可能だと思われます。しかし、そのような分裂を1つの像へと収斂させていくことも同時に可能なわけです(まさにミクロ・ポリフォニー的に)。そして分裂的に捉えることよりも、1つの像にして描くことの方が重要であるように思われます。それを試してみたかった、というのが、大まかな理由です。まぁ、今の時点で言えることは、リゲティという作曲家を捉えるキーワードとして《折り重ね》というものがあげられるんじゃないか、ってことぐらいなのですが(写真は2000年ごろのリゲティ。顔がやばい)。




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