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日付変更とともにやって来た驚き/クリムゾン以外のロバート・フリップ映像集




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ロバート・フリップ先生によるWindows Vistaの起動音 - YAMDAS現更新履歴


 Windows Vistaの起動音を製作したのはロバート・フリップらしい(トラックバックを送ってくださったid:yomoyomoさん経由)。Windows95がブライアン・イーノだったりして、マイクロソフトの開発チームにはプログレ好きでもいるのか、とか思ってしまう。動画はVistaについて語るロバート・フリップ。老けた向井秀徳ではない。





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 気が早すぎるけど、次のOSにはフリップ&イーノ名義で参加して欲しいです。



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 映像はロバート・フリップ弦楽五重奏団の演奏。弦楽五重奏団といっても全員ギターで、フリップが主宰するギター学校出身者によるグループ、カルフォルニア・ギター・トリオ+ロバート・フリップ+トレイ・ガン(スティック。キング・クリムゾンのメンバー)という師弟共演。アッタク音を消したフリップのギターが好きなので、これを前面に押し出したアルバムをもっと出して欲しい。ユニオンに行けば売ってんのか?



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 こちらはデヴィッド・シルヴィアンとロバート・フリップの共演。デヴィッド・シルヴィアンが持ってるギターがスタインバーガー!っていうところが80年代っぽくて素晴らしく泣けます。他に参加してるのは、トレイ・ガン(スティック)とパット・マステロット(ドラム)でどちらもキング・クリムゾンのメンバー。



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 デヴィッドつながりで、デヴィッド・ボウイの「Heroes」。映像はカラオケっぽいですが、ギターを弾いているのはロバート・フリップ。フギャフギャとした変な音色でポップなフレーズを弾いているのが気持ち悪くて良いです。



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 気持ち悪いといえば、このボウイも相当気持ち悪くて最高。アメリカの古いテレビ司会者みたいな格好。天才過ぎて理解できないセンスだ。



Heroes
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 気持ち悪いけど、ボウイのベルリン三部作(ブライアン・イーノがプロデュース)はなんだかんだ言って最高です。





コメント

  1. あ、それ聴いてないんですよね、盤の存在は前から知っていたのですが、どうなんでしょう。ベルリン三部作は「アートロック」と言われてますけど、聴いた感じはかなりポップでそのあたりのバランス感覚がボウイは素晴らしいな、と思います。

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  2. ボウイとイーノと言えば、フィリップ・グラスの≪”Low” Symphony≫と≪”Heroes” Symphony≫が二枚組で手頃な値段で出ていたので、ルイジ・ノーノの「テープのための作品全集」と一緒に買って、ちょうど聴いているところでした。

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