スキップしてメイン コンテンツに移動

エクササイズとクラシック




D


 『ビリーズ・ブート・キャンプ』が大ヒット商品として話題に上がる……一方ではメタボリック・シンドロームが国を動かすほどの「心配の種」となる……現在の日本社会において健康や美容のためのエクササイズへの関心は高まる一方です。福利厚生の一環として、スポーツジムの利用料が割引に……なんて会社にお勤めの方もいらっしゃるのではないでしょうか?


 そんななか、エクササイズを盛り上げるアイテムとして「音楽」が運動とセットになっていることは常識です。例の『ビリーズ・ブート・キャンプ』を観ても分かるように、屈強な黒人が発するシャウトのバックには常にスクエアプッシャーを8倍安くした感じの音楽が流れてますね。また、スポーツ用品においてはナイキとアップルが提携し、iPod nanoと連動させて運動量を管理するスニーカーなども発売されており、iTunes Storeにおいてエクササイズ中に聴くための音楽が配信されています。


 しかし、どうしてこれらのエクササイズ・ミュージックのなかに、クラシックが含まれていないのでしょうか?ビリー・ブランクスの背後に、iPodののなかに存在するのは不思議とテクノやヒップホップなどの電子的なダンス・ミュージックに限られているように思います。ダンスとエクササイズの親近性によって、それが選択されている――そのような要因が浮かびます。しかし、クラシックもまたダンス・ミュージックであったはずなのです(しかも、テクノの10倍の長さの歴史がある!)。


 今回はその問題について考えていきたいと思います。




  • プッシュアップ(腕立て伏せ)


 プッシュアップが自分の体重を負荷にして筋肉を鍛える、いわゆる「自重トレーニング」の“王様”とされている所以は、バリエーションが豊富であるために、さまざまな部位に効く、という点でしょう。腕の開き方や姿勢を変えるだけで、逞しい腕だけではなく、美しい背中や、しっかりとした体幹を作り上げることができます。このことからプッシュアップさえできれば「無人島に行ってもムキムキでいられる」とさえ言われているほどです。




 そういう基本的な運動こそ、テンポ良く軽快にやりたいものです。そこで聴いて欲しいのがベートーヴェンの交響曲第8番、第4楽章。「ベートーヴェン?あの暗い感じの人でしょ?そんなので運動なんかする気にならないよ!」と侮ってはいけません。かのワーグナーをして「舞踏の聖化」と言わしめた、この曲こそ、キング・オブ・自重トレに相応しいダンス・ミュージックなのです。



D


 演奏はカルロス・クライバーの高速テンポによるキビキビしたものをチョイスしました。非常にスポーティな演奏。




 筋肉に自信がある方はオットー・クレンペラーの比較的ゆっくりしたテンポでやってみましょう。ゆっくりやることによって、筋肉へと持続的な負荷がかかり、トレーニング効果が向上するのです(いわゆる、スロー・トレーニング)。




  • シットアップ(腹筋)


 プッシュアップについで代表的なトレーニングであるのがシットアップ。しかし、プッシュアップよりもジリジリと疲労感がやってくる上に、運動後の疲労感にあまり手ごたえを感じないなどの理由で、苦手な方が多いのではないでしょうか?かく言う、私も苦手なトレーニングの一つです。だからこそ、運動意欲を高めるための音楽が必要でしょう。




 チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を選ぶのには理由があります――シットアップこそ、スロー・トレーニングに適した運動である、というのがその理由です。元祖・忍者俳優であるところのショー・コスギは10分間に600回のシットアップができるそうですが(これは1秒間に一度のペースです)、普通の人がこんなスピードでシットアップを行っても効果が上がらないばかりか、腰を痛めかねません。ゆっくり、じっくり筋肉に刺激を与えるスロー・トレーニングが有効なのです。



D


 このとき重要なのは、姿勢。正しい姿勢でおこなわなければ、鍛えたい筋肉を使用できない上に故障の要因ともなります(膝は90度に曲げ、開かないこと!)。仰向けの状態から、自分のへそを覗き込むようにして体を丸めるイメージで起こしていきましょう。ゆっくりと強打されるピアノの三拍子にのって、起き上がり、またゆっくりと仰向けの状態に上体を戻していく……。正直言ってかなりキツいですが、頑張ってください(ピアノの独奏が始まったら弦にリズムが移りますので、そちらに耳を傾けてください)。また、起き上がるときに息を吐き出し、戻るときに息を吸うとインナーマッスルが悲鳴をあげます。ひねりを加えれば、わき腹に!


 動画はカラヤン/ベルリン・フィル、ピアノ独奏がエフゲニー・キーシンのもの(キーシンの後ろに日本人で初めてベルリン・フィルのコンサートマスターとなった安永徹が映っています)。胃がもたれるほど、しつこい演奏です。ヴィブラートのかかり具合がおかしい。




  • スクワット


 さて、ここまでは上半身のトレーニング。最後に下半身も鍛えておきましょう。下半身を鍛えることによって、美脚だけでなく、疲れにくくなったり、むくみの防止にもなるのです。ここで紹介するのはスクワット。これもポピュラーな運動ですが「効率的だからこそ、ポピュラーなのだ」ということを忘れてはいけません。また、プッシュアップ、シットアップ、スクワットという「三大自重トレ」を繰り返せば、基礎的な体力面は十分でしょう。




 音楽はエリック・サティの《ジムノペティ》第1番が良いと思います。CMなどでもよく耳にする眠気を誘う音楽ですが、これが選ばれる理由もやはり「スクワットがスロートレーニングに適した運動であること」です。自分の体重を支えてくれる膝は思ったよりもデリケートな部分です。無理なスピードで痛めつけては、逆に体を壊してしまいます。



D


 ここでも姿勢に気をつけてください。足を肩幅ぐらいに開いて、膝を曲げるというよりも上半身を落とすイメージで、太ももと床が平行になる位置までもっていきます。このとき、背中が猫背になっていると腰を痛める原因となりますので、背筋を伸ばして正面を向いていてください。




  • 睡眠




 ここまでお疲れ様でした(この長いエントリを読んでくださる皆様に感謝いたします)。疲れた体を癒すのには、睡眠が最も効果的です。また、睡眠時には成長ホルモンが多く分泌されるため、筋肉の成長にも役に立ちます。睡眠もまた立派なトレーニングのひとつである、と言えましょう。



D


 ベッドに入る前に《ゴルトベルク変奏曲》でも聴きましょう。これは不眠に悩むカイザーリンク伯爵のために、バッハが書いた元祖「ヒーリング・ミュージック」とも呼べる作品です。あと眠る2時間ぐらい前にたんぱく質を摂取すると、ちょうど成長ホルモン分泌とたんぱく質の分解のタイミングが合うので効果的ですよ!




  • おわりに


 ブート・キャンプばかりやっていては、筋肉バカだと思われかねません。しかし、クラシックを聴きながら運動をすれば、美しい身体だけではなく、「教養」も同時に得られるなど良いこと尽くしです(肉体と精神の気高さ、それこそが真のセレブリティの姿でもあります)。このエントリが皆様の参考になることを祈っております。



D


 それでは。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

なぜ、クラシックのマナーだけが厳しいのか

  昨日書いたエントリ に「クラシック・コンサートのマナーは厳しすぎる。」というブクマコメントをいただいた。私はこれに「そうは思わない」という返信をした。コンサートで音楽を聴いているときに傍でガサゴソやられるのは、映画を見ているときに目の前を何度も素通りされるのと同じぐらい鑑賞する対象物からの集中を妨げるものだ(誰だってそんなの嫌でしょう)、と思ってそんなことも書いた。  「やっぱり厳しいか」と思い直したのは、それから5分ぐらい経ってからである。当然のようにジャズのライヴハウスではビール飲みながら音楽を聴いているのに、どうしてクラシックではそこまで厳格さを求めてしまうのだろう。自分の心が狭いのは分かっているけれど、その「当然の感覚」ってなんなのだろう――何故、クラシックだけ特別なのか。  これには第一に環境の問題があるように思う。とくに東京のクラシックのホールは大きすぎるのかもしれない。客席数で言えば、NHKホールが3000人超、東京文化会館が2300人超、サントリーホール、東京芸術劇場はどちらも2000人ぐらい。東京の郊外にあるパンテノン多摩でさえ、1400人を超える。どこも半分座席が埋まるだけで500人以上人が集まってしまう。これだけの多くの人が集まれば、いろんな人がくるのは当たり前である(人が多ければ多いほど、話は複雑である)。私を含む一部のハードコアなクラシック・ファンが、これら多くの人を相手に厳格なマナーの遵守を求めるのは確かに不等な気もする。だからと言って雑音が許されるものとは感じない、それだけに「泣き寝入りするしかないのか?」と思う。  もちろんクラシック音楽の音量も一つの要因だろう。クラシックは、PAを通して音を大きくしていないアコースティックな音楽である。オーケストラであっても、それほど音は大きく聴こえないのだ。リヒャルト・シュトラウスやマーラーといった大規模なオーケストラが咆哮するような作品でもない限り、客席での会話はひそひそ声であっても、周囲に聴こえてしまう。逆にライヴハウスではどこでも大概PAを通している音楽が演奏される(っていうのも不思議な話だけれど)。音はライヴが終わったら耳が遠くなるぐらい大きな音である。そんな音響のなかではビールを飲もうがおしゃべりしようがそこまで問題にはならない。  もう一つ、クラシック音楽の厳しさを生む原因にあげら...

オリーヴ少女は小沢健二の淫夢を見たか?

こういうアーティストへのラブって人形愛的ないつくしみ方なんじゃねーのかな、と。/拘束された美、生々しさの排除された美。老いない、不変の。一種のフェティッシュなのだと思います *1 。  「可愛らしい存在」であるためにこういった戦略をとったのは何もPerfumeばかりではない。というよりも、アイドルをアイドルたらしめている要素の根本的なところには、このような「生々しさ」の排除が存在する。例えば、アイドルにとってスキャンダルが厳禁なのは、よく言われる「擬似恋愛の対象として存在不可能になってしまう」というよりも、スキャンダル(=ヤッていること)が発覚しまったことによって、崇拝されるステージから現実的な客席へと転落してしまうからではなかろうか。「擬似恋愛の対象として存在不可」、「現実的な存在への転落」。結局、どのように考えてもその商品価値にはキズがついてしまうわけだが。もっとも、「可愛いモノ」がもてはやされているのを見ていると、《崇拝の対象》というよりも、手の平で転がすように愛でられる《玩具》に近いような気もしてくる。  「生々しさ」が脱臭された「可愛いモノ」、それを生(性)的なものが去勢された存在として認めることができるかもしれない。子どもを可愛いと思うのも、彼らの性的能力が極めて不完全であるが故に、我々は生(性)の臭いを感じない。(下半身まる出しの)くまのプーさんが可愛いのは、彼がぬいぐるみであるからだ。そういえば、黒人が登場する少女漫画を読んだことはない――彼らの巨大な男根や力強い肌の色は、「可愛い世界観」に真っ黒なシミをつけてしまう。これらの価値観は欧米的な「セクシーさ」からは全く正反対のものである(エロカッコイイ/カワイイなどという《譲歩》は、白人の身体的な優越性に追いつくことが不可能である黄色人種のみっともない劣等感に過ぎない!)。  しかし、可愛い存在を社会に蔓延させたのは文化産業によるものばかりではない。社会とその構成員との間にある共犯関係によって、ここまで進歩したものだと言えるだろう。我々がそれを要求したからこそ、文化産業はそれを提供したのである。ある種の男性が「(女子は)バタイユ読むな!」と叫ぶのも「要求」の一例だと言えよう。しかし、それは明確な差別であり、抑圧である。  「日本の音楽史上で最も可愛かったミュージシャンは誰か」と自問したとき、私は...