スキップしてメイン コンテンツに移動

アドルノって誰なの?



Q.アドルノって誰なんですか?


 A.テオドール・ルートヴィヒ・ヴィーゼングルント・アドルノさんです。1903年にユダヤ系の裕福な家庭に生まれ、すくすく育ち、1969年に亡くなった20世紀の思想家/社会学者/音楽家/批評家/教師です。思想家としてはヘーゲルの弁証法を批判的に継承しており、社会学者としては特にメジャーな著作はありませんが社会心理学的な研究をしつつ、音楽家としてはアルバン・ベルクに師事、批評家としては「ベンヤミンのほうが優れてるよ!」とか言われつつも、大学の先生としてフランクフルト大学で教鞭をとりました。1969年4月に、左翼の女子学生がアドルノの講義中におっぱい丸出しで乗り込んでくるという事件があってから教師としては休業をせざるを得なくなったのですが、その年の8月に心臓発作で亡くなりました。




Q.アドルノって偉いの?あんまり名前を聞かないけど……


 A.はい。結構偉いです。第二次世界大戦以前からフランクフルト大学の社会学研究所のメンバーとして「フランクフルト学派」を形成し、脚光を浴びていました。が、戦争が始まってアメリカに亡命。そこでも結構、活躍してました。あと戦後にドイツへ帰還してからも代表するドイツを代表する知識人として注目を浴びていました。しかし、あまりにも難しいことを言いすぎたのでイマイチマイナーな存在となっているように思います。でも、デリダもフーコーも「アドルノをもっと早く読んどけば良かったー」とか「アドルノがいなかったら俺もここまでこれなかったかも」とか言ってるぐらい、リスペクトされてる人なんですよ。日本だとさらにマイナーで大学の講義でもアドルノの名前を聞くことはほとんどありませんが……(しかも何故か研究者が関西に固まっている気がする……)。


Q.アドルノの入門書みたいなものってあるの?


 A.一応、あります。



アドルノ―非同一性の哲学 (現代思想の冒険者たち)
細見 和之
講談社 (1996/07)
売り上げランキング: 162776




アドルノ/ホルクハイマーの問題圏(コンテクスト):同一性批判の哲学
藤野 寛
勁草書房 (2000/05)
売り上げランキング: 299683




アドルノ (岩波現代文庫 学術 178)
マーティン・ジェイ 木田 元 村岡 晋一
岩波書店 (2007/08)
売り上げランキング: 197535



 この3冊が手ごろだと思います。最後の1冊を私は読んでいませんが……っていうか文庫化されてるの今知ったよ……というわけで読んでみようと思います。最近では結構頻繁にアドルノに言及した本が出ているのですが、ちょっとしたアドルノ・ブームなんですね。でも、こういうアドルノ本よりも「アドルノが書いた本」の方が100倍ぐらい面白いので、どれか一冊を3回ぐらい読んだらそちらの方に手を出してみることをオススメします。アドルノも若い頃に「安易に二次文献に頼るな。ちゃんと哲学したかったらそいつの本を100回読め」と教え込まれたそうですし。


Q.アドルノの代表的な著作って?



否定弁証法
否定弁証法
posted with amazlet on 07.09.30
テオドール・W. アドルノ Theodor W. Adorno 木田 元 渡辺 祐邦 須田 朗 徳永 恂 三島 憲一 宮武 昭
作品社 (1996/06)
売り上げランキング: 195182



 A.この本です。でも泣きたくなるぐらい難しく書いてあるので、いきなりこれから入るのは初めてのエッチで前戯をしてもらえないぐらい辛いと思います。読めるようになると逆に泣きたくなるぐらい面白いです。長くて私も3回ぐらいしか通読したことないけど……。



不協和音―管理社会における音楽 (平凡社ライブラリー)
Th.W. アドルノ Theodor W. Adorno 三光 長治 高辻 知義
平凡社 (1998/02)
売り上げランキング: 161660



 あとこの音楽に関する論文・批評集は面白いですね。特に『音楽における物神的性格と聴衆の退化』は「聴衆にとって音楽はなにか/どのように聴衆は音楽を聴いているのか」ということを問うた一種の聴衆論の先駆けとして興味深いものがあり、そこで非難されている事象は現代においても見受けられることのように思います。「ポリリズムとか言って騒いでんじゃねーよ、このボケが!」と言っている人にオススメです。


 このほかに、これまでに私が読んできたものの中で「これはすごく面白い!」と思ったものをあげると(基本的に全部面白いんだけど)――『三つのヘーゲル研究』、『社会学講義』、『ベートーヴェン―音楽の哲学』――この3冊と『否定弁証法』は読んでいて、ホントに泣けます。ガチで哲学しちゃってる感じとかが本当にすごい。


Q.で、結局アドルノってどんなことを言ってたの?


A.それに関しては当ブログのカテゴリ「アドルノ」または「今日のアドルノ」をご参照ください。最初の方に書いていたものは、今では「うわ、全然ダメだ。これはひどい。恥ずかしい」と自分で思っていますが、最近のものへ割りと面白く書けているのでは、と思います。尚、近いうちにまとまった文章を、なんらかの形で皆様にお見せできる日がくると思いますのでもうしばらくお待ちください。





コメント

  1. ブクマ以外でははじめまして。先日翻訳が出たサイードの「晩年のスタイル」はお読みになりましたか?ある意味、最高のアドルノ論になっていると思いますよ。

    返信削除
  2. はじめまして。duke377さんのダイアリタイトルが『ミニマ・モラリア』なので以前から気になっておりましたのでコメントをいただけて大変嬉しく思っております。サイードは全くのノーチェックでした。情報ありがとうございます。現在、私もアドルノに関する論文を(ほぼid:la-danseさんと共同で)執筆中ですのでご期待ください。シロウトならではの恐れの無さでガツガツ書きまくっております。

    返信削除
  3. 概してそんなものでは?>日記タイトル。私も柄谷の『探求I』(にのっていたヴィトゲンシュタインをめぐる議論)から日記のタイトルを取っていますが、柄谷のことなんかほとんど書きませんし……。

    返信削除
  4. せっかくタイトルを借用したのに、結局アドルノについてはほとんど書かないまま終わってしまいました>日記。Geheimagentさんたちの論文、楽しみにさせてもらいます。

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か