リュック・フェラーリ

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Cycle des Souvenirs
Cycle des Souvenirs
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Luc Ferrari
Blue Chopsticks (2002-02-12)
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 「ウチに聴いていないリュック・フェラーリのCDがあるんだけど、もし欲しかったらあげるよー」とセレブの方がおっしゃられたのでありがたく頂いた。しかも2枚も(ありがとうございました!)。1枚は上記のCDで、もう1枚は初期のテープ音楽を集めたもの(おへその写真がジャケットになっている)。久しぶりにこの手の電子音楽を聴いたけれども、やはり初期作品で聴かれる「昔の特撮に出てくる計算機のようなシンセサイザー」が出すメタリックなノイズはいつ聴いても素晴らしい。デジタルシンセにはとても出せない凶暴な音……これを聴くためだけに私はシュトックハウゼンの《コンタクテ》や、タンジェリンドリームを聴き返しているような気がする。


 上記のCDは《Cycle Des Souvenirs》(直訳;記憶の循環)という6台のCDプレーヤーと4台のヴィデオ・プロジェクターによるインスタレーション作品のCDバージョンだそう。こちらは2001年のものなので、電子楽器の音色はかなり普通。シンセサイザーと人の声、生活音、環境音をミックスしたアンビエント・ミュージックといった趣である。癒し系……とはまた違うが、ちょっとこの聴きやすさはアカデミックな出自を持つ作曲家/アーティストとしてはかなり異色に感じられる(ちなみにフェラーリはピアノをアルフレッド・コルトーから、アナリーゼをオリヴィエ・メシアンから、作曲をアルテュール・オネゲルから学んだ、というバリバリのエリート音楽家である)。


 聴いていて思ったのは、この人は西洋の楽壇においてかなり早いうちから「コンサート・ホールという空間で作品が聴かれない」という想定の下に作品を作り続けることを辞めた人なのかもしれない、ということだ。近代に入ってコンサート・ホールという「音楽の演奏/音楽の聴取のための空間」が出来上がって、作曲家は皆その空間のために音楽を書いてきた。しかし、フェラーリの場合は「録音メディア」によって音楽が聴取者に届けられることを最初から想定していたのではないか、と。例えば初期のテープ音楽についても、コンサート・ホールで演奏(再生)されなければならない、という制限を脱しているし(実際はコンサート・ホールで再生されたのだが)、また、CD版《Cycle Des Souvenirs》について「CD版は、新たな作品として作曲しなおした」という主旨の文章を作曲家はライナーノーツに寄せている。


 これらは、音楽と録音の関係性を大きく変えてしまう。それは録音が演奏の記録ではなく、録音そのものが作品として成立する、ということだ。『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』を制作したビートルズとフェラーリの狙いはおそらく同じ方向を向いている。今では珍しくないかもしれないけれども、西洋のアカデミックな音楽の世界でこのような試みをおこなった彼は音楽史的にもっと重要な人物と扱っても良いのかもしれない。音楽をヘリコプターで空に飛ばしてしまったシュトックハウゼンが「結果的に」コンサート会場を出てしまったのとは、まったく意味が違っている。





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