黒田硫黄『あたらしい朝』

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 黒田硫黄の単行本最新刊。これまで以上に「漫画にとって絵ってなんだろうな」って考えさせられるような漫画である、と思った。「これは良い漫画だ」と言うとき、絵の精密さ/正確さなんて漫画にとって実はちっぽけな技術に過ぎず、絵が精密でなかったり、正確でなかったりしても、コマとコマの間にある動きがあれば「良い漫画だ」って言えてしまえるような……とか言っていると、じゃあ、一体、我々はどのように漫画を読んでいるのか、っていうところに気が向かう。その認識方法はどうなっているのだ、と。漫画。それ自体は1ページに描かれた絵なのだが、その1ページはコマによって区切られていて、1ページのなかの1コマのなかにも絵がある。コマ、というミクロな見方もできれば、ページ、というマクロな見方もできる。しかし、ページもコマの連なりによって形成されたものであり、もっと大きく捉えるならば「漫画」はページの連なりによって形成されたものである……となると、我々は漫画の何を読んでいるのだろうか。言うまでもなく、以上のようなことはきっと「漫画論」をやっている人が既に論じているのだろうけれど、『あたらしい朝』を読んだらそのようにして書かれたものを少し読んでみたくなった。とても映像的(っつーか動画的)な漫画である、と思う。しかし、実際のところ、それは映像(動画)ではなく、1コマ、1コマの静止画でしかない。ではそのときの映像「的」――この「的」が生まれる源泉にはなにがあるのだろうか。





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