ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『フェルディドゥルケ』

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フェルディドゥルケ (平凡社ライブラリー)
ヴィトルド ゴンブローヴィッチ
平凡社
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 今年は久しぶりにあまり本が読めない年だった気がするけれども、20世紀のポーランド人作家の本を集中的に読んでいた。ヴィトルド・ゴンブロヴィッチの作品は今年3冊目。これまで『コスモス』、『トランス=アトランティック』と続けてきたが、この『フェルディドゥルケ』が一番面白かった。フランツ・カフカが霞んで見えるほど不条理で、かつ狂気の色合いが半端でなく濃い。主人公の思考の流れが喉元にまとわりつくような文体で続き、窒息しそうになった。なかなか読んでいてつらい本ではあるが、そういったマゾヒスティックな読書が好きな方にオススメしたい。



しかし、ピンコは坐ったままだった。坐りながら坐っていた。そして、こうなんとなく坐りながら、坐ったままで、自分の尻にすっかり腰を落ち着けてしまっていった。



 こういった無意味な表現が多発するところも良かった。こういう風にナンセンスな部分は、ラブレーの引用だろうか(作品中に明確な引用は一箇所あるほか、無意味な言葉のリストがところどころ散見される)。構造的にも途中で、意味があるのだかないのだがまったく掴めない「前置き」と「これまでの話とまったく関係ない挿話」が急に織り込まれる。このあたりは、セルバンテスか。この脱線は本当にとんでもないところでズレるのでびっくりするのだが、こういった古典の引用が作家の教養の高さを思わせる。小説自体はすごくろくでもない話なのだが。


 主人公は30歳の売れない作家で、そこに頭が軽くオカしい教師がやってきて、学校(今で言う高校ぐらいなのだろう)に入れられてしまう……というところから物語は進みだす(のだが、その前に続く「なんて俺はダメなんだろう……!」という悶々とした自問自答がすごく良い)。そんな不条理で、奇妙な状況などさっさと逃げ出してしまえば良い、と読者としては思うのだが、主人公はなかなか逃げ出せない。ものすごく逃げ出したいと思っているのだが、実行には移せない。このように作品内の主人公は徹底して、状況に飲み込まれ続けるものとして描かれる。そして、その抑圧状態のなかで溜まった圧力が社会批判として現れる。主人公は、右翼も左翼もクソミソに言う。このあたりは妙に現代的に読めてしまうところだった。


 また、主人公以外の登場人物(彼らは主人公から批判される人物である)も興味深い。主人公の目に映った他者は、不気味なほど理解不能な、奇妙な存在であるのだが、しかし、主人公よりも生き生きとしている。あるものは「青少年」に憧れ、あるものは「下男」に憧れる。また、ある者は「地主」という役割を演じるかのように生き、教師たちは「天才詩人の詩に、彼らが天才詩人であるから」感動する。彼らは外部からされる規定を受け入れる存在として、「30歳の売れない作家」という何者でもない未熟な存在である主人公とは対照的な関係にある。


 結局のところ主人公が行う批判とは「なんで俺は“悶々”なのに、あいつらは“生き生き”なんだ!」というひがみでしかないような気もするが、そこで噴出している熱量の高さがとても笑えてしまう。もっとも、これを読んでゲラゲラ笑えるうちが花であり、これに共感できる人は少し危ないようにも思うのだが。





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