ダンテ・アリギエーリ『神曲(煉獄篇)』

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神曲〈2〉煉獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
ダンテ アリギエーリ
集英社
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 第2部「煉獄篇」に入るとちょっと話の内容、というか主人公(語り手であり、筆者であるダンテ)への性格付けが異なってくるので、なかなか読むのが辛かった感がある。第1部「地獄篇」は、完璧にダンテはヴェルギリウスに導かれて地獄を歩む「観察者」であり「観光者」であり「第3者」なのに対して、「煉獄篇」ではダンテ自身に天国に足を踏み入れる権利を得るための「修験者」としての任務が与えられる。そこでは、地獄でダンテが見たような歴史上の人物が呵責を受ける様子やおぞましい苦行の様子はなく、ダンテが一生懸命ヴェルギリウスに励まされながら、煉獄の山を登り続ける様子が描かれる。ので、派手さに欠けるのだ。異様にテンションが高い地獄篇と同じものを期待して読み進めると、がっかりすることは必死。


 とはいえ、退屈が続くのか、というとそうでもなく、生前の世界と死後の世界における「身体(霊魂)論(なぜ、死んでるのに生前の姿で目に見えるのか)」などを懇々と語るところなどは「へぇ……そんな理屈なのか」と面白く読めた。あと、煉獄の門をくぐる際に、門番の天使によってダンテの額に「7つのP(罪)マーク」を彫られる、っていう設定が良いですね。7つの罪をすべて償うことによって、ダンテの身は綺麗になり、天国に行く資格を得るんだけれども、ここはなんか「悪魔超人を1人倒すと、ミートくんの体の1部が戻ってくる」みたいなジャンプ漫画ライクに読めてしまった。まぁ、アトランティスと闘ったりするわけではないのだけれども。


 贖罪を終えたダンテがいよいよ天国へ行くところでこの巻はおしまい。そこで、ダンテの身柄もヴェルギリウスから、ベアトリーチェ(ダンテが思い焦がれてた人物。森を彷徨っていたダンテのもとへ、ヴェルギリウスを派遣して助けてあげようとした張本人)へと受け渡される。ヴェルギリウスは、キリスト教の信仰を持たず、地獄の辺土にいるので天国にはいけないのである。この別れのシーンも良い。振り返るとそこにはヴェルギリウスはおらず、ダンテは泣く。そして、ベアトリーチェにものすごく怒られる、というなんとも言えないダメっぷりを発揮する。ここまでずっとダンテという人は「弱気なダメ人間」な感じでいるのだが、贖罪を終えてもやっぱりダメなのである。


 ダンテにとってヴェルギリウスが「父」なのだとしたら、ベアトリーチェは「母」だろう。地獄と煉獄の間に、父によって見守られてきた息子は、まだ地上に戻れていない。地上に戻す、という最終的な救済を施すのはおそらくは母の役目なのだろう。煉獄の険しい山を登る過程は、この父から母へという受け渡しの「過程」に過ぎないのかもしれない。煉獄篇の読んでいてもいまいち興奮しない感じは、これに由来するのか?




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