立川談春『赤めだか』

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赤めだか
赤めだか
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立川 談春
扶桑社
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 2008年に出版されてさまざまな賞を受賞しているそうである、この『赤めだか』。立川談志の弟子、立川談春による修行時代および最近にいたるまでを綴ったエッセイ。これは会社の仲の良い上司からお借りしたものなのだが、面白くて一気に読んでしまった。帯には福田和也(なぜ?)がこんな言葉を寄せている。



笑わせて、泣かせて、しっかり腹に残る。プロの物書きでもこの水準の書き手は、ほとんどいない。間違いなくこの人は、言葉に祝福されている。



 だそうである。「そこまで言うか!」という感じであるが、とてもリズミカルで音声的な、落語的なテンポで進んでいくから、ページをめくっていくのが楽しくなるような本なのは確かだ。「言葉に祝福されている」というのは、落語家が作家以上に言葉を使う(言葉を選ぶのではなく)職業なんだから当たり前なのかもしれない……とも思う。


 しかし、この本を書かせているのは、やはり師である立川談志なのだろう。立川流の中心に彼が存在するように、この本で主軸となっているのはこの鬼才であり革命家のような落語家なのだ。「修行とは矛盾に耐えることだ」と入門当初、談志は書き手である談春に言ったそうだ。この言葉に暗示されるとおり、談志は弟子たちに嵐のなかに投げ込まれるごとく振り回される。だから、面白い。


 でも、その矛盾のなかには「実は……」という具合に、意味がある。読んでいるとわかるのだが、談志と言う人は一見むちゃくちゃに見えながら、実にシステマティックな理論構築をするモダニストだ(だから保守的な落語協会から飛び出した)。談春は“ときおり”気がつく。矛盾の先にある意味に。


 そこで談春が見出す意味とは、読み手もうなづけるものである。しかし、この意味とは、一旦矛盾へと迂回を行わなければ、冷ややかに受け流されしまいそうなものでもある。状況を変えるには、自分で動くしかない――こんなことを一言言われて、おいそれと同意してしまうのはよっぽどマヌケな人なんだろう。


 私は、自己啓発的なメッセージが嫌いだ。でも、この本に含まれるそういった意味を反発せずに面白く読めてしまったのは、それが矛盾へと一旦迂回して見出されたものだったからではないか、と思う。言葉の重みとはそう言ったところから生まれるのではないか。





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