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ショーロクラブ 武満徹ソングブックコンサート @めぐろパーシモンホール




武満徹ソングブック
武満徹ソングブック
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ショーロクラブ with ヴォーカリスタス
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ショーロクラブによる武満徹ソングブック*1コンサート版をめぐろパーシモンホールへ。はじめていくホールでしたが大変キレイなホールでびっくりしました。大きさは江東区などに乱立している中規模ホールぐらいなのですが、やはり立地のラグジュアリなイキフン、駅(東急東横線都立大学駅)からホールへ向かうまでの道すがらに見える、小さなショップのコジャレ感、どれをとってもシャレオツであり総合ポイントをとれば、クール度は都内随一といっても良いでしょう。音響面などはさておき、サントリーや芸劇、トリフォニーなどにはないロケーション。終演後、駅前のいち。というお店にうかがいましたがここも良いムードで美味しいお店でした。ここのカニクリームコロッケを食べたさに、めぐろパーシモンホールに通いたくなるかも。





本題のコンサートのほうですが、これはもう素晴らしいとしか言い様がない。歌手の魅力と実力を存分に堪能できるコンサートでした。ステージ上にはソファとテーブルが並べられ、ショーロクラブと共演する7人の歌手はそこで自分たちの出番を待ちます。背景には武満徹が過ごした軽井沢の写真。その光景はちょっと演劇の一場面のようでしたが、ショーロ、というサロンの室内楽の雰囲気をコンサート・ホールに再現するひとつの手段として効果的な演出だと思いました。圧巻だったのは沢知恵のパフォーマンス。これはもう貫禄さえ感じさせるものでした。とにかくパワフルだし、舞台から放ってるエネルギーの量がものすごい。芸能としてひとつ完成された姿だな、と思いましたし、ソロのコンサートも聴きにいきたくなります。おそらく確実にお客さんを満足させて帰らせてくれるでしょう。コンサートの満足感をチケット代と換算してコストパフォーマンスを計るのは無粋なことかもしれませんが、相当にコスパが良さそう。





アルバムでは男性歌手(おおはた雄一・松平敬)のヴォーカル曲は1曲ずつと寂しい感じでしたが、本日は未収録曲がそれぞれ1曲ずつ演奏されていました。これらはライヴ版の配信などで補完されて欲しいですね。おおはたは「ぽつねん」を、松平は「昨日のしみ」を。どちらも谷川俊太郎詞による楽曲で、言葉の選び方がすっ、とくる。「ぽつねん」はちょっと不気味というか、シュールレアリスムを感じさせるのだけれど、こうじんわりと良いものを錯覚させてくるところが不思議。ほかにもアン・サリーによる「死んだ男の残したものは」で客席からブラヴォーが飛び交ったり印象深い場面がいくつかありました(この楽曲も谷川・武満のコンビですね)。





たまたまコンサートの前日に武満のギター曲を聴きなおしていたんですが、今回のショーロクラブのアレンジって大胆な置き換えなどでもなんでもなく、武満の空気感やコード感、雰囲気、テクスチュアを再現する試みだったのだなあ、という風に思いました。武満のポピュラー・ソングがほかにどれだけあるか分かりませんが、第2弾があるなら続けて欲しいし、このコンサートも単なるレコ発、企画モノコンサートで終わらずに定期的に行われて欲しいです。人数が多いからスケジュールなどが合わせにくいのだろうな~、とは思うのですが。今日の観客の人だけにしかあれが味わえないのでは、とても残念。逆に言えば、今日観に行けた人はとても幸福でしたね(私も幸福)。CDもあと150万枚ぐらい売れて欲しい。






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